つげ義春ふたたび(4)
■石子順造(1928年10月12日~1977年7月21日)
美術評論家、漫画評論家。東京生まれ。本名は木村泰典。東京大学経済学部卒、同大学院と文学部美学在籍。1956年に静岡県清水市の物流会社である鈴与倉庫に入社。営業課に籍を置くかたわら、評論活動を開始する。戦前の前衛、アングラ芸術、デザイン、漫画などを対象に評論活動を展開し、独自の見解を示す。漫画評論においては先駆け的存在。
1960年、画家の伊藤隆史・鈴木慶則らと評画誌『フェニックス』を創刊。
1964年、鈴与(鈴与倉庫の親会社)総務部を退社し静岡に家族を残して単身上京。本格的に評論活動を開始。池田龍雄論などを展開。
1967年には、菊地浅次郎(山根貞男)、梶井純、権藤晋と、日本初の漫画評論同人誌「漫画主義」を創刊。白土三平、つげ義春、水木しげる等を評論の対象とした。
また、1974年の著書、『キッチュの聖と俗』は、当時、キッチュ的な題材を作品に取り込んでいた、横尾忠則、赤瀬川原平らと共鳴する内容であった。
モナリザへのこだわりも・・・私と共通していて嬉しい。
さらにカエルについても・・・石子順造バンザイ!!!
現代美術のジャンルでは、「トリックス・アンド・ヴィジョン:盗まれた眼」展(1968年)東京画廊・村松画廊を中原佑介(美術評論家)と共同企画し、「第9回現代日本美術展」(1969年)の第三部門(コンクール)洋画(油彩・水彩・デッサン・版画)部門の審査員のひとりであった。
49歳で早逝。病床の石子はしきりにつげ義春に会いたがった。
死後に『コミック論』『キッチュ論』『イメージ論』の著作集全3巻がある。