からほり(2)
■空堀商店街
大阪市中央区南東部にあります。大坂冬の陣後に埋め立てられた大坂城南惣構(みなみそうがまえ)堀の遺構である空堀通の西半分、上町筋から松屋町筋に至る中央区側の東西約800mの商店街。上町台地、空堀遺構の窪地、江戸時代の瓦土取場が影響し合い、起伏に富んだ地形となっています。太平洋戦争中の大阪大空襲の被害を免れた数少ない地区であり、昔ながらの長屋などが密集し、狭い路地が複雑にめぐっています。2009年3月には「新・がんばる商店街77選」に選ばれました。
●惣構
豊臣秀吉の大阪築城の際、西惣構堀(東横堀川)、南惣構堀(空堀)、東惣構堀(猫間川-今はないが、JR環状線にそってあった)を築きました。南惣構(みなみそうがまえの空堀はおそらく空堀商店街の南側か北にあったと思われます。惣構は城下町を含む大阪城の一番外堀のことです。1614年、大阪冬の陣の講和条件で二の丸、三の丸、惣構は埋め立てられました。戦後、徳川家康は南惣構えのあったところに石垣と杭を立てたといわれています。空堀界隈の民家で石垣の上に建てられているものが見受けられる。これは徳川時代の南惣構えの跡と思われます。
●南惣構堀
秀吉時代の大阪城は周囲を惣構堀で取り囲み、防御していました。玉造の交差点から西へ延び、空堀商店街に沿う形で造られていたのが、南側の大外堀にあたる南惣構堀跡です。空堀は文字通り、水のない堀で、大坂冬の陣の和議条件で、徳川方に数日で埋められたといわれます。1994年、上本町3丁目のビル建設工事の際、この堀と思われる落ち込みが確認されましたが、今は見る影もありません。築100年以上の長屋や屋敷等を活かした長屋再生複合ショップ「惣」の南長屋には、南惣構堀の木柵レプリカが設けられています。
■空堀商店街のアーケード
東から「空堀ど~り商店街」「はいからほり商店街」「空堀商店街」と順につながっています。実は、空堀商店街はこのアーケードだけでなくその路地裏にも広がっています。
一度その路地裏に足を踏み入れると、現代と過去が入り混じったノスタルジックな町並みが顔を出します。空堀には、《からほり倶楽部》という有志の団体があり、街にある歴史深い長屋のリノベーションに力を注いでいるのです。
それでは、有名なお店を紹介していきましょう。