防災・危機管理アート(21)
■米漂着の浮玉と“再会”持ち主「お父さんが帰ってきたようです」
東日本大震災の津波で、宮城県南三陸町から米アラスカ沖のミドルトン島に漂着した養殖用の浮玉が13日、同町の仮設住宅に住む持ち主の三浦さき子さん(63)の元に届き、震災から1年3カ月を経て“再会”を果たした。震災の漂着物が海外から返却されるのは初めてとみられる。浮玉は三浦さんが経営していたレストラン「慶明丸」の看板として店先に飾られていた。店名にもある浮玉の「慶」は、約30年前に亡くなった夫慶吾さん=当時(37)=の名前の1字。三浦さんは「お父さんが帰ってきたようです。本当に幸せ」と喜び、「多くの支援に応えるためにも、プレハブの店舗でもいいから(浮玉を)掲げたい」と話した。今後店の再開に向けて準備を進める考え。浮玉は2月末、ミドルトン島の海岸でデービッド・バクスターさん(51)が発見。三浦さんが返却を望んでいることを聞き、日本に送っていた。(2012.6.13)
■米アラスカ沖のミドルトン島の海岸で「慶」の字が書かれた黄色の養殖用浮球が漂着しているのが見つかり、東日本大震災の津波で全壊した宮城県南三陸町のレストラン「慶明丸」が店の看板として所有していたものであることが14日、分かった。津波で流失、約5千キロ離れたアラスカに漂着したとみられる。サッカーボールより一回り大きい浮球は2月末に同島在住のデービッド・バクスターさん(51)が海岸を散策していた際に発見、回収した。レストランを経営する三浦さき子さん(63)がバクスターさんから提供された写真で店のものと確認した。バクスターさんは同じく東北の被災地から流れ着いたサッカーボールとバレーボールも海岸で見つけており、所有者の少年らに会いたいと6月にも日本を訪問予定。浮球もその際に直接手渡すか、郵送で返却する意向だ。(2012.5.15)
■輝け浮き玉「復興の願い」巻き付け販売/気仙沼・大島
東日本大震災で津波被害を受けた宮城県気仙沼市大島の復興の象徴にしようと、気仙沼大島観光協会が、漁具の浮き玉で作った「漁師の瓶玉」を販売している。協会は「手元に置いて、大島を応援し続けてほしい」と話している。浮き玉はガラス製で、直径が13センチ、20センチ、22センチの3種類。津波で流されて海辺に打ち上げられたり、がれきの中に埋もれたりしたものを集めた。大島で暮らす元マグロ漁船員らが泥を落とし、青や黄色のロープを丁寧に巻き付けた。「漁師の瓶玉」と焼き印を入れた木札も付けた。観光協会の小山美香さん(38)は「漁師の気持ちがこもった浮き玉。復興に向けて頑張っている大島の人たちのことを思い浮かべてほしい」と言う。価格は2500~4000円。浮き玉の在庫に限りがあり、完成した順に販売する。協会は余った浮き玉の提供も呼び掛けている。連絡先は同協会0226(28)3000。(2011.11.23)
■太平洋漂流の浮き玉、石巻の漁師に返還へ/茨城・大洗町
茨城県沖の太平洋を漂流していた漁具は、津波被害を受けた宮城県石巻市の漁師たちのものだった。持ち主を捜していた茨城県大洗町は9日、「復興の支援になれば」と、漁具をコンテナ3台に積んで漁師たちに届ける。漁具は海上保安庁が大洗町の約20キロ沖で見つけた。船の航行の妨げになるため7月13日に回収。カキやホタテが絡まった網は廃棄したが、直径30~50センチのプラスチック製の「浮き玉」約130個は使える状態だった。町が茨城県を通じて宮城、岩手の両県に問い合わせたところ、玉の表面に書かれた屋号から、石巻市の宮城県漁協谷川支所に所属する漁師たちのものとわかった。
浮き玉は養殖貝などを付けたロープを海面に浮かせて固定するもので、養殖には欠かせない。町は輸送代を負担し、持ち主に返すことを決めた。大洗町も震災では約5メートルの津波が押し寄せた。町生活環境課の飛田顕吾さんは「同じ被災地として、復興の手助けになるのであればうれしい」と話す。持ち主の一人、石巻市大谷川浜の渡辺喜代寿さん(60)は「ホタテとホヤの養殖の資材は、ほとんど津波で流された。浮き玉を買い直すお金を、他の資材に回せる」。10月末から、返ってきた浮き玉を使ってホタテの養殖を再び始める予定だ。(2011.9.9)
ガラス浮玉の結び方には何種類かあるようですが、一般的には「網」を編むのと同じ「蛙又結び」が多いようです。