銀紙アートに金紙(2)
そんな制作を続けている時に・・・
■紅白梅図屏風(Red and White Plum Blossoms)18世紀(江戸時代)
各156.0cm×172.2cm/MOA美術館/2曲1双・紙本金地着色又は金泥着色
琳派の中でも最も名の知れた絵師のひとり尾形光琳が晩年に手がけた代表作、国宝『紅白梅図屏風』。琳派芸術の最高傑作ともされる本屏風に描かれるのは、紅白の梅の花が咲くニ本の梅樹と、画面上部から下部へと末広がりに流れる水流で、光琳が俵屋宗達の様式に傾倒していたことが知られているが、本作も宗達の『風神雷神図屏風』の対照性を強く意識されていると考えられている(※光琳は自らも『風神雷神図屏風』の模作を残している)。2003年にMOA美術館が依頼し東京文化財研究所がおこなった『紅白梅図屏風』の研究・調査によって、本作の大部分を占める金地部分は、本来の説であった金箔を貼ったものではなく、金泥を用いて金箔を模し、箔足(金箔が重なり合う部分)を加え描いたものであると結論付けられたことは研究者や絵師らに大きな衝撃を与えた(ただ、この説は現在も異論・否定論も多く、今後の更なる調査・研究が期待されている)。本作に描かれる、光琳梅と呼ばれ後に流行した、輪郭と花弁のみで構成される非常に単純化された梅花の表現や、梅の樹幹の写実的な表現手法として用いられた≪たらし込み≫技法は、まさに装飾性の高い光琳の琳派芸術のひとつの到達点として、高貴で荘厳な美しさを携えている。また光琳波と呼ばれるS字に屈曲し、渦巻模様に図案化された独特の水流部分は、銀箔が用いられていると考えられていたが、2003年の調査によって型紙を使用し(おそらく黒藍色の)有機色料で描かれたと結論付けられたことも特筆すべき点のひとつである。なお、本作の解釈について、金地の明と水流の暗、老熟した白梅の樹の静と若々しい紅梅の樹の動、写実性を感じさせる梅の樹幹部分と図案化された水流部分など多くの対照性が認められることから、光琳と実弟・乾山と解釈する説や、光琳と中村内蔵助(光琳の後援者)と解釈する説など様々な説が唱えられている。
■2011年12月16日MOA美術館において開催された研究会の概要
以下は、発表者である東京理科大学理学部中井泉教授の配布資料からの抜粋です。
1.調査日と調査参加者
2011年10月15,16日/中井泉、阿部善也、権代紘志,白瀧 絢子(東京理科大学)、内田篤呉(MOA美術館)
2.調査方法
3種類の高感度分析装置を持ち込み,詳細な分析を行った。
1)デジタル顕微鏡 KEYENCE VHX-200
最大1000倍の高倍率レンズを用い,屏風の細部を観察。KEYENCE製。新規に導入。
2)ポータブル蛍光X線分析装置 OURSTEX 100FA-V
蛍光X線分析法から,試料の化学組成 (元素の種類と量)を解明。OURSTEX (株)製。中井研究室がOURSTEX (株)と共同開発,ポータブル装置としては世界最高感度。
3)ポータブル粉末X線回折計 X-tec PT-APXRD
粉末X線回折法により,試料に含まれる結晶性物質を同定,および配向特性を明らかにする。(株)テクノエックス製。新規に導入,中井研究室が元大阪電通大谷口研究室と共同開発,ポータブル装置としては世界最高水準。
3.調査目的
1)中央の川がどのようにして描かれたかを明らかにする
2)金箔、銀箔の厚みを明らかにする
4.得られた知見の要点
1)昨年までの我々の調査で明らかになった中央の川の部分1面に銀が存在することを確認し、さらに白い部分で銀が、銀箔の状態で残っていることを、粉末X線回折法から明らかにしました。
2)川の黒い水流の、黒の起源は、硫化銀(Ag2S:鉱物名針銀鉱)であることが、粉末X線回折から確定できました。
3)中央の川の銀の定量分析から、用いられた銀箔の厚みを推定したところ、黒の部分で0.2㎛、銀白色の部分で多いところは0.4-0.8㎛相当残存していました。参照試料として用いた金沢の現代の銀箔の厚みは、0.248㎛でした。
4)流水部分の黒い格子模様は今まで何かわからず謎とされていましたが、銀箔の重なった箔足であることが明らかになりました。
5)今回の調査により、金地は金箔であることが確定しました。そして、用いられていた金箔の厚みが0.12㎛程度(0.1㎛は1万分の1mm)であることがわかりました。ちなみに、参照試料として用いた金沢の現代の金箔の厚みは、0.188㎛でした。
6)川の部分全面に銀が残り、全面から硫黄も検出されました。硫化されていない茶色の水流にも硫黄があること、川の部分全面に黒色粒子が確認されました。以上の実験事実より、黒色粒子の硫黄はマスキング剤(ドーサ)に由来し、黒色粒子は長い年月の間に明礬の硫黄分と反応してできた硫化銀である可能性が推定されました。したがって、現在茶色の水流は、もとは銀色で長い年月とともに、黒色粒子が析出して、銀の酸化もあわさって、茶色になったものと考えられます。
すなわち光琳は、中央の川に銀箔をはり、金地には金箔をはり、銀箔を黒化させないところにはドーサ等でマスキングし、硫黄により銀を硫化させて黒い川の流水模様をつくったことがわかりました。その結果をCGで再現しますと、光琳が描いたオリジナルは現在の姿と大きく異なっていることが推定されました。
■銀の波鮮やか紅白梅図屏風/制作当時の姿、CGで再現
江戸時代の画家、尾形光琳(1658~1716)が描き、「琳派」を代表する作品「紅白梅図屏風」(国宝)の制作当時の姿がコンピューター・グラフィックス(CG)で再現された。金地を背景に、黒い川面に銀色の波が立つ様子が鮮やかによみがえった。所蔵するMOA美術館(静岡県熱海市)で2011年12月16日に開かれた研究会で発表された。「紅白梅図屏風」をめぐっては、科学調査が続いていた。東京理科大学の中井泉教授(分析化学)らが結晶の状態などを分析し、昨年、背景は金箔(きんぱく)と発表。今回、川の部分を銀箔と結論づけた。さらに川の黒い部分は、銀箔を変色させた硫化銀と確認。それらの調査結果をもとに、CG画像はつくられた。
■国宝で心癒やして/MOA美術館の「紅白梅図屏風」を仙台へ
熱海市のMOA美術館が所蔵する江戸中期の画家尾形光琳の代表作「紅白梅図屏風」(国宝)が3月6~25日、無償で仙台市博物館に貸し出され特別公開される。“門外不出”の名品が館外で展示されるのは、開館から30年間で初めて。MOA美術館は「芸術で多くの人たちを癒やせたら」と東日本大震災被災地を応援する。二曲一双の「紅白梅図屏風」は、中央に末広がりの水流を挟んで、右に紅梅、左に白梅を配した独創的な構図で知られる。美術館によると、同屏風は文化財保護法に基づいて、公開は年間最大60日間に制限されている。これまでレプリカ貸し出しはあったが、実物は美術館が完成した1982年より前に、東京と京都で一度ずつ公開されただけという。特別公開ではほかに、旧秋田藩の佐竹家に伝わった国重要文化財「平兼盛像(佐竹本三十六歌仙切)」▽奥州へ向かう源義経と浄瑠璃姫の恋物語を描いた同「浄瑠璃物語絵巻」(伝岩佐又兵衛勝以筆)▽伊達政宗が柳生宗矩に宛てた書状-など東北ゆかりの美術品を中心に計10点がMOA美術館から出展される。中には震災犠牲者の鎮魂を祈った平安時代の装飾経や仏像もある。仙台市博物館は震災で傷んだ施設の復旧工事で16日から2月27日までを休館。3月6日からは震災1周年の11日を挟んで、20日間無休で開館する。同博物館の内山淳一・学芸室長は「申し入れがあった時は(話が信じられず)本当かなあと思いました。明るい絵を見れば多くの人たちの心が慰められると思います」と喜んだ。輸送費などの経費は、震災復興の文化庁ミュージアム活性化事業として補助金で賄われる。MOA美術館の内田篤呉(とくご)・副館長は「美しいものを見て、少しでも元気になってもらえたら」と復興に取り組む人たちにエールを送っている。
「金銀紙アート」も・・・がんばります。