えへっ(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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上村一夫(1)


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大正の浮世絵師と呼ばれた竹久夢二を連想させる女性像と独特の劇画タッチの画風を確立し、『ヤングコミック』、『週刊プレイボーイ』、『漫画アクション』、『ビッグコミック』等の雑誌を舞台に多くの連載を手がけ、最盛期には月産400枚という驚異的な執筆量をこなした。『修羅雪姫』、『同棲時代』、『しなの川』、『悪魔のようなあいつ』、『サチコの幸』など、映像化された作品も多い。


・・・実は、入院中に読もうと思って購入した上村一夫さんの本があったのですが、残念ながら?予想以上に早く退院したものだから読めなかったのです。


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1940年3月7日、神奈川県横須賀市に生まれる。1964年、武蔵野美術大学デザイン科を卒業。在学中よりアルバイトで勤務していた広告代理店、宣弘社のイラストレーターとして広告制作に携わる。生涯の友人である阿久悠と出会ったのは、その当時のこと。テレビの絵コンテを描いていた上村の隣のデスクにいたのが阿久悠だった。1967年、アメリカの雑誌『PLAYBOY』風のパロディ漫画『カワイコ小百合ちゃんの堕落』を『月刊タウン』創刊号に発表。これが漫画家としてのデビューとなる。1968年には、宣弘社の同僚で放送作家としても活動していた阿久悠(のちに作詞家、小説家)と組み、『平凡パンチ』にて『パラダ』の連載を開始。本格的な漫画家活動に入る。

1985年11月、下咽頭腫瘍で入院。1986年1月11日、死去。45歳没。


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『菊坂ホテル』1985

大正8年前後が舞台である。笠井彦乃との恋を父親に裂かれた竹久夢二が、本郷の菊坂ホテルに投宿するところから、この劇画は大正浪漫の香りをゆっくり放ちつつ始まっていく。菊坂ホテルは菊富士ホテルのことで、葉山の日蔭茶屋で神近市子に刺された大杉栄が伊藤野枝としばらく隠れていたところであった。竹久夢二が『黒船屋』を描いたのもこのホテルだった。上村一夫が菊坂ホテルという名にしたのは菊富士ホテルが本郷菊坂台上にあったからだろう。わずかな時代の隙間におこったドラマは、その菊坂ホテルの八重子の目で描かれていく。菊坂ホテルは八重子の父が、大正3年に大正博覧会にくる外人客をあてこんで建てた洒落た洋館のホテルである。開業期にはいつも万国旗がはためき、ワルツが鳴っていた。それだけでなく、今日の日本がすべて失ったであろうドラマをもっていた。


・・・上村さんの作品の中で、残念ながら読んでいなかったものです。しかも夢二と並び称される上村さんの、夢二にまつわる作品なのですから、ぜひ。


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つげ義春さんの場合は「飛行機」ですが、上村さんは「飛行船」が印象的でもありました。


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さて、菊坂ホテルの中では、夢二さんが触発された画家としてマリー・ローランサンが登場します。そして・・・


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この作品から有名な「黒船屋」が描かれたことになっています。ですから、何も知らない読者は、この作品はマリー・ローランサンが描いたと思い込んでしまいますよね。


・・・実は、私もそう思ってしまったのです。