うふっ(58) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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■村上春樹さんの青春三部作「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」これらの作品の中には煙草に関する描写が頻繁に出てくる。「風の歌を聴け」では152ページの間に20回以上もの描写があるそうです。(小説家・高橋源一郎が書いている「小説の中で、多様な「徴」を示す煙草」~雑誌『BRUTUS』566号(2005/3/15)の記事)


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BRUTUS/2005/03/01発売号(No.566)COFFEE AND CIGARETTES

・ アラン・デュカスさん、どうして山谷のカフェにいるんですか?
・ 70 COFFEE LOVERS アナタの好きなコーヒーは何ですか?
・ HOW TO MAKE GOOD COFFEE コーヒーの美味しさとは何かを知るべし!
・ TOKYO'S BEST COFFEE TO GO いちばん美味しいテイクアウトコーヒーは?
・ JAVA AROUND THE WORLD 最新コーヒー事情を追って、世界6都市をぐる~り一周。
・ NOTABLE CAFFEINE SOCIETY 〈スターバックス〉とカフェブームが、東京のコーヒー文化にもたらしたもの。
・ SMOKING STYLE
・ 解剖学者、養老孟司さんに聞いてみました。「タバコは本当にカラダに悪いですか?」
・ ブラジルのタバコ。
・ もしもタバコがなかったら、あの名作は生まれませんでした。
・ ちょっと、一服。
・ 人はなぜタバコを吸うのか?
・ COFFEE AND CIGARETTES IN NEW YORK ジャームッシュさん、ニューヨークには愛煙家は住みにくいですか?
・ ニューヨーク、喫煙事情ルポ。嫌煙包囲網の中、頑張るNYの愛煙家たち。
・ 映画『COFFEE AND CIGARETTES』11のカフェイン&ニコチン話。
・ COFFEE AND CIGARETTES WITH JIM JARMUSCH


●村上春樹「風の歌を聴け」より

主人公の「僕」が自分の存在理由を考えるため、すべてを数字で置き換えることに凝っていたとき、3番目に寝た女の子が死んだことを知らされるくだり・・・そんなわけで、彼女の死を知らされたとき、僕は6922本目の煙草を吸っていた。


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●これらの物語は、煙草無くして語れるものではありません。村上春樹さん自身、一日3箱を喫うヘヴィースモーカーでしたが、『羊をめぐる冒険(1985)』の頃から禁煙。身体を鍛えるためにマラソンを続け、最近ではトライアスロンにも参加している。冬はフルマラソン、夏はトライアスロンというのがここ数年の流れである。これは、小説を集中して書き続けるために体力維持に励んでいる、という理由による。したがって、生活は非常に健康的である。毎朝4時か5時には起床し、日が暮れたら仕事はせずに、夜は9時すぎには就寝する。ほぼ毎日10km程度をジョギング、週に何度か水泳、ときにはスカッシュなどもしている。「ワーク・アウト」という言葉は、しばし村上のエッセイ等に言及がある。「ノルウェイの森」など、彼が禁煙してからの作品は明らかにそれまでと作風が違っている。


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■村上春樹「意味がなければスイングはない」

村上春樹さん初めての音楽評論集。季刊オーディオ専門誌『ステレオサウンド』の2003年春号から2005年夏号に掲載され、2005年11月文藝春秋より刊行された。2008年12月文春文庫として文庫化。シューベルト、スタン・ゲッツ、スガシカオ・・・。月が消え、恋人に去られ、犬に笑われても、なにがあろうと音楽だけはなくすわけにはいかない。良き音楽のある世界の成り立ちについて、どこまでも語り尽くす全10編。ジャズのピアノ奏者デューク・エリントンの作品『スイングがなければ意味はない(It Don't Mean a Thing If It Ain't Got That Swing)』をもじったものである。ただの言葉遊びではなく、どうしてそこに「スイング」というものが生まれてくるのか、優れた本物の音楽として成り立たせているその「何か」について、自分なりの言葉で追求してみたかったと述べている。


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●『意味が無ければスイングはない』で取り上げられたアーティストは・・・

シダー・ウォルトン/ブライアン・ウィルソン/フランツ・シューベルト/スタン・ゲッツ/ブルース・スプリングスティーン/ゼルキン/ルービンシュタイン/ウィントン・マルサリス/スガシカオ/フランシス・プーランク/ウディー・ガスリーです。

日本人が一人しかいないことが一目瞭然です。その理由について、村上春樹さんは次のように語っています。


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●僕だってなにも、日本のポップ・ミュージックはあまり聴かないでおこうと決めているわけではない。ときどきMTVでチェックもするし、暇な時にはタワーレコードに行って、Jポップ・フロアでヘッドフォンをかぶって新譜CDをまとめて試聴し、面白いものがあったら買い求めることにしている。なるべくならいろんな種類の音楽を偏見なく、幅広く聴きたいと常日頃考えているし、それなりに努力もしているのだ。しかし残念ながら、これは面白そうだ、買ってみようと僕に思わせてくれるものが、日本のポップ音楽の中にはなかなか見当たらない。また「ちょっと良さそうだな」と思って買ってきても、うちで何度か聴いたら飽きてしまって、すぐ中古屋に持っていって売ってしまう、というケースが少なくない。なぜだろう?新譜として店頭にずらりと並んでいる音楽のJポップの多くは、一聴して、商品(パッケージ)としてはスマートに作られているし、演奏のテクニックも立派なものだし、音作りにけっこうなお金もかかっているらしい、ということはいちおう理解できるんだけど、肝心の音楽的内容に、説得力みたいなものがうまく感じられない。月並みな表現を許していただけるなら、はっとさせられるものがないのだ。心に迫ってこないし、特に新味もない。三〇〇〇円近くの代金を払って、その音楽を聴かなくてはならない個人的必然性みたいなものが、どうしても見えてこない。もちろんいわゆる「洋楽」の分野にだって、その手の内容の薄い、消耗品としての音楽は溢れかえっている。しかしそれでもベックとかレディオヘッドとかREMとかウィルコとかをはじめとして、「このバンド(シンガー)の新譜CDが出たらとりあえず買っちまおう」と頭ごなしに決めている「定点」がけっこうたくさんあるし、また一時間みっちり店頭で試聴したら、「これは買って帰って、もう一回うちでじっくり聴いて見よう」と思わせてくれる音楽を、三枚か四枚は見つけることができる。しかしなぜかJポップ売り場では、そういうことがめったに起こらない。もちろんくまなく新譜をフォローしているわけではないし(そうするにはあまりにも新譜の数が多すぎる、ちなみに「CDジャーナル」十月号には、Jポップだけで約三五〇枚の新譜がリストアップされている。一ヶ月でですよ!)、聴き逃しているものも多々あると思う。しかし確率的に言って、あたりの数が圧倒的に少ないのは疑いの余地のないところである。


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●こうJポップについての音楽的価値観を表明してから、ではなぜスガシカオだけは、「新譜が出るたびにちゃんとお金を払ってCDを買ってきてしまうのだろう」ということについて・・・

スガシカオの音楽を初めて耳にしたとき、まず印象づけられたのは、そのメロディーラインの独自性だったと思う。彼のメロディーラインは、ほかの誰の作るメロディーラインとも異なっている。多少なりとも彼の音楽を聴き込んだ人ならおそらく、メロディーをひとしきり耳にすれば、「あ、これはスガシカオの曲だな」と視認(聴認)することができるはずだ。こういう distinctiveness(固有性)は音楽にとって大きな意味を持つはずだと僕は考える。(中略)ちょっと余談になるけれど、音楽だけではなく、文章の世界においても多くの場合、このような distinctive なツイストは重要な役目を果たしている。もし文章のはしばしに、その書き手ならではの麻薬的シグネチャーを自由にあるいは集積的に、付与することができるとしたら、つまりほかの誰にも真似できない「文体」を身につけることができたなら、作家は少なくとも十年くらいは、それでメシが食っていけるかもしれない。もちろんそのようなテクニックだけに安易に頼りきっていたら、職業的限界は早晩訪れるわけだけれど。


・・・私もスガシカオさんがデビューした時からのファンなので、とても嬉しいです。