KIZUNA36 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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お城の被害は???


和歌山城に行ったこともあって、今回の大震災でお城にどのような被害があったのか気になって、いろいろ調べてみました。まず・・・


■和歌山城の夜桜、ライトアップ中止

和歌山市は東日本大震災の被災地に哀悼の意を込め、3月26日から4月10日まで点灯予定だった和歌山公園の夜桜見物用のちょうちんとぼんぼりの設置を取りやめる。昭和51年のスタート以来初めて。和歌山城管理事務所によると、例年桜の開花に合わせて二の丸庭園や表坂、一の橋付近に「和歌山城桜まつり」と書いた、ぼんぼり100個、ちょうちん400個を設置。園内にはソメイヨシノ約600本が植えられ、花見シーズンには約10万人の見物客が訪れる。また、4月1日から20日まで点灯を予定していた同市和歌浦の御手洗池公園のぼんぼりの設置も取りやめる。市は和歌山城のライトアップも休止している。


■映画「のぼうの城」が公開延期「水攻め場面、適当でない」

映画配給会社「アスミック・エース エンタテインメント」などは4月22日、時代劇映画「のぼうの城」(犬童一心監督)の公開時期を、9月17日から来年秋に延期すると発表した。城を水攻めにする場面で東日本大震災の津波を連想させる恐れがあるとして「時節柄、適当でない」と判断したという。映画は野村萬斎さんが主演。巨大な土塀で城を囲み、水を流し込んで攻め落とす戦術を描いた場面が見せ場という。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-しろ1


●戦国末期、豊臣秀吉、石田三成勢の20,000人の大軍に屈せず、たった500名の兵で抗戦、勝利した実在の武将・成田長親の姿を描く時代劇。『ゼロの焦点』の犬童一心と『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』の樋口真嗣が異色のダブル監督に挑み、第29回城戸賞を受賞した和田竜のオリジナル脚本を映像化。“のぼう様”と呼ばれたヒロイックな主人公を野村萬斎が熱演するほか、佐藤浩市、山口智充、成宮寛貴らが城を守る侍大将を演じる。底知れぬ人気で人心を掌握した主人公の魅力や、豊臣・石田軍による水攻めシーンなど、見どころ満載の歴史大作。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-おしろ1


■すぐには直せない地震で崩れた青葉城の石垣

伊達政宗の居城で、観光名所にもなっている「仙台城跡」(仙台市青葉区川内)で、築城時の面影をとどめる石垣が東日本大震災で崩れ、城跡に通じる市道が2か月たった今も通行止めになっている。国の史跡への指定を目指す文化財であるため、修復は歴史的価値を損なわないよう時間をかけて行う必要があり、通行止めが長引いて観光に悪影響が及ぶ恐れもある。仙台城は仙台市中心部から西に約2キロの青葉山に伊達政宗が築き、「青葉城」の名でも知られる。現在は石垣などが残り、市中心部を見渡せる人気の観光スポットとなっている。石垣が崩れたのは、城跡の西側。縦7メートル、横58メートルにわたって崩れ、仙台駅など市中心部と城跡を結ぶ市道・仙台城跡線の上を石が覆った。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-おしろ2


市道は現場付近で約1キロ・メートルにわたって通行止めが続いている。広さ約100ヘクタールの城跡は、国や市が管理する公有地部分と、城跡内にある宮城県護国神社が所有する民有部分に分かれる。公有地部分の多くは2003年に文化財保護法に基づいて国の史跡に指定され、市はその後も民有地部分を含めた城跡全体の指定を目指してきた。今回石垣が崩れたのはこの民有地部分に当たり、市教委文化財課によると、応急処置的に修復した場合、文化的価値が失われ史跡指定はほぼ不可能になる。同課は「崩れた石のどれがどこに積まれていたのかなどを調査するだけで数か月はかかる。積み直しを含めると、修復は年単位の作業になる」と話す。仙台城跡のほか、周辺には八木山動物公園(太白区)など観光関連施設も多いが、仙台城跡線が通行止めになったためこれらの場所に行くには遠回りになる。市道路管理課は「石垣が修復され、安全が確認されるまで道路の通行止めは続くのではないか」とみており、「遠方から来るお客様が迂回路がわからず、引き返してしまうのでは」(八木山動物公園)などと心配する声が出ている。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-おしろ3


■鶴ヶ城(別称若松城)福島県会津若松市

戦国期には当地に葦名氏の「黒川城」があり、蒲生氏郷が文禄元年(1592)に甲州流の縄張を用いて郭を築き、7層の天守閣、櫓をたて、馬出を作ったと伝えられています。また地名を若松と改め、城を鶴ヶ城と命名しました。慶長の大地震(1611)で傾き長い間放置されていましたが、加藤明成の時代に鶴ヶ城の大改修に着手。大手門を北側、天守閣を5層に改め、石垣を改修・新築、出丸を拡張、空堀に水をたたえるなど鶴ヶ城を現在のような形態としました。天守閣は戊辰の役で砲撃され、明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に内部を郷土博物館展示場として再建されました。2010年から、黒瓦だった天守の屋根瓦を、明治時代に解体される以前の赤瓦葺に復元する工事が始まり、今年3月にようやく終了したところです。ところが会津地方も原発による風評被害の影響を受け、平日の鶴ヶ城は閑古鳥が鳴いているというニュースが流れています。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-おしろ4


■福島県白河市・小峰城

奥州関門の名城と謳われた小峰城は、結城親朝が興国・正平年間(1340~1369)に小峰ヶ岡に城を構えたのがはじまりで、寛永9年(1632)に江戸時代の初代藩主、丹羽長重が4年の歳月を費やして完成させた梯郭式の平山城です。その後、松平定信をはじめ7家21代の大名が居城しましたが、慶応4年(1868)戊辰戦争白河口の戦いで落城。約120年の時を経て、平成3年(1991)に三重櫓、平成6年(1994)に前御門が江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元され、市のシンボルとして親しまれています。平成22年8月5日に、その歴史的な重要性が評価され、国指定史跡となりました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-おしろ5


ななんと・・・江戸城も被災していました。


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今回の震災がいかに大きかったか・・・思い知らされます。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-おしろ7


多くの文化財が被災しています。しかし、過去においても様々な戦災・被災を経て、そのたびに修復や復元を繰り返し今日に至っています。もちろん、当時の姿のまま保存できるのが望ましいわけですが、歴史・変遷も含めて貴重な記録です。心より・・・一日も早い復興を祈ります。