あはっ(49) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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スタードーム(97)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-よう1

■霧島山新燃岳

52年ぶりに爆発的噴火が観測され、噴火を繰り返している。2011年1月28日にも2度目の爆発的噴火があり、溶岩ドームや火砕流も見つかり、本格的な噴火活動に入る兆しをみせている。1月26日から小規模な噴火がはじまってから徐々に勢いを増し、一時は灰白色の噴煙は最高3000メートル上空にまで立ち上った。活動が活発化していることから、気象庁では「警戒レベル3」(入山規制)を敷いている。また、鹿児島県霧島市などでは火山灰が積もり、その清掃に追われ、噴火の影響でサッカーJ1川崎フロンターレやJ2東京ベルディは、宮崎キャンプの予定の変更を強いられた。 東京大学地震研究所の調査によると、火口付近で直径数十メートルの溶岩ドーム(マグマが地表へと押し出されることでできる溶岩が盛り上がったもの)と、小規模な火砕流(噴火によりはき出された火山灰などが斜面を流れる現象)が確認されており、今度の噴火は「マグマ噴火」だと考えられている。新燃岳では52年前の1959年、地下水がマグマに熱せられることで起こる「水蒸気爆発」があったが、マグマ噴火となると、今から189年前の1822年にさかのぼる。

国土地理院でもGPSを用いて地殻変動を観測しデータ解析しているが、1月28日の発表によると、新燃岳の地下には噴火前、マグマの蓄積があったと推定。具体的には、火口の西北約10km、地下約6kmのやや深いところに約600万立方メートル(東京ドーム5杯分)が、火口直下地下約3kmの浅いところに約100万立方メートル(東京ドーム約0.8杯分)が蓄積されていたのだという。噴火後、山体は収縮傾向にあると見られているが、宮崎・鹿児島地方気象台は「新燃岳から2km程度の範囲では、噴火に伴う弾道を描いて飛散する大きな噴石等に警戒が必要」と注意を呼びかけている。一方、溶岩ドーム、火砕流で思い出されるのは1990年の噴火から5年ほど活動が続いた雲仙普賢岳。雲仙普賢岳でも溶岩ドームが出現し火砕流も発生。この時は、報道関係者や消防関係者が火砕流に巻き込まれ、多数の死者を出す惨事が起きている。


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■溶岩ドーム(溶岩円頂丘)

マグマの粘性が高く(流動性が小さく)かつガスが少ないために爆発的な噴火を起こさず、火口から塊となって押し出されたもの。形は多様であるが高さには限界があり、噴出量が多い時は平坦になる傾向がある。溶岩ドームをさらに細分して、上面が平坦になったものを溶岩平頂丘、火道内で固化したまま押し出されてきたものを火山岩尖、また地表を隆起させたが溶岩自体は噴出しないで終わった(溶岩ドームになりそこなった)ものを潜在円頂丘(潜在ドーム)という。昭和新山、アトサヌプリ、茶臼岳(那須岳)、妙高山、雲仙平成新山など。


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■溶岩(熔岩、lava)

火山噴火時に火口から吹き出たマグマを起源とする物質のうち、流体として流れ出た溶融物質と、それが固まってできた岩石。一般に噴出前のマグマは水を主成分とする揮発成分を大量に含んでいるため、減圧作用により発泡することが多い。この揮発成分は常時少しずつマグマから分離し火山ガスとして放出されているが、噴火の際には一気に大量のガスが抜け出て噴火時の爆発や高く上る噴煙を形成する。火口から流出する溶岩流にも揮発成分が含まれており、地上に出た際の圧力低下によって徐々にガスが分離するため多数の気孔や気泡を含んでいることが一般的である。しかし、マグマの噴出が高水圧のかかる深海底で起きる場合や、溶岩湖を形成したりした場合にはこの限りではない。

溶岩の粘性は、その温度や成分によって著しく異なる。温度が高いほど粘性が小さく、冷えると固化する。また成分的にはマグマ中のケイ酸成分(二酸化ケイ素)の量が多いほど粘性は大きくなる。日本を含む太平洋周辺の火山の溶岩は二酸化ケイ素成分の少ないものから順に、玄武岩→安山岩→デイサイト→流紋岩であり、後になるほど粘性が高い。ハワイの火山のような玄武岩質溶岩は粘性が低く流動性が高いので、溶岩流が火口から10km以上流れることも多い。昭和新山は粘性が大きく流動性に乏しいデイサイト質溶岩であり、地上に出た溶岩は流出することなくその場に盛り上がって溶岩ドームを形成した。ごつごつした外観の溶岩ドームを形成した雲仙普賢岳の噴火も、デイサイト質溶岩である。


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●熊本県上益城群山都町「清和文楽館」/石井和紘/1992年


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■石井和紘

処女作である直島町立直島小学校の設計を当時東大紛争の混乱の中で石井がやり遂げたことを当時の直島町長三宅親連が高く評価し、以後「直島建築」と称される直島町の公共施設の設計を一手に任される。母方の祖父に陸軍中将大場四平。


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■DOME Vol.01【創刊号】92/04/01山本育夫事務所DOME編集室

今、起こりつつある波・・・という書き出しで、新エポックを迎える美術館そして子どものためのモダンアートや、学校教育とのコラボレーションを意図してスタートしたミュージアム・マガジン「DOME」。DOME Vol.84【最終号】06/02/01