スタードーム(13)
■グラウンド・ゼロ
2001年9月11日、無差別テロにより崩壊した、アメリカ・ニューヨークのワールド・トレード・センター跡地、いつのまにかビルの跡地は「グラウンド・ゼロ」と呼ばれるようになった。もともと「ground zero」 は「爆撃地点」という意味であり、核爆発の直下地点のことも意味し、原爆が投下された広島と長崎を一般的に指す事が多い。また「zero」には「最初」という意味もあるので、「出発の地」ということでもある。
■フリーダム・タワー(自由の塔)
事件後、崩壊した世界貿易センター(WTC)ビルの跡地「グラウンド・ゼロ」は慰霊碑的な場所でもあった。安藤忠雄さんが建築的なことでは解決できないと叫んだが、結果的にはきわめてアメリカ的な解決になった。2002年に再開発案が提示されたが、市民等からかなりの反対があり、国際デザインコンペにより2003年にユダヤ人建築家ダニエル・リベスキンドのビルデザインが最優秀案に選ばれた。この「フリーダム・タワー(自由の塔)」の最初の案は独立宣言の年にちなんで1776フィートの高さで自由の女神と対をなすモニュメンタルなデザインであったが、事実上の建築主である不動産開発業者ラリー・シルバースタインは、リベスキンドの案をもっと商業的なものに変更すべく、新たにSOM(Skidmore, Owings, & Merrill LLP)という世界最大規模の設計事務所を参画させ、大幅に設計変更が行われた。しかし、その後も道路から近すぎてテロの対象になるなどの理由で再三設計に変更が加えられ、ようやく着工された。『フリーダム・タワー』というビル名についても『テロで犠牲になったのはアメリカ人だけに思えてしまう』と遺族や市民の間では、批判的な意見も一部に存在した。 2009年3月30日、ニューヨーク州は、ビルの名称を「1 World Trade Center」に変更すると発表した。その理由は、「ワールドトレードセンター」の頭に番号を付けた敷地内の他のビル群と1棟だけ違った名称を付けると、ビルの管理運営に支障を来すため。
■グラウンド・ゼロのためのモニュメント計画
命を奪われた人々の鎮魂と、同じことが繰り返されないようにという願いをこめて、安藤は、あえて何もつくらず、ただ土を盛っただけの墳墓のようなモニュメントを提案した。3万人の人々が集うことのできる広さを有し、この場所から「一つの共同体としての地球をめざす」との意味を込めて、形状寸法は地球の球形をモティーフとして定められた。高層ビルに囲まれた、円周200メートル、高さ30メートルのゆるやかな盛り上がり。地中に大きな球が埋め込まれ、その上部がわずかに地面の上に頭を出している。埋め込まれた球は地球と相似形、大きな地球の中に、小さな地球が埋葬されている。地球のための巨大墳墓である。
■群馬県桐生市新里町(旧新里村)「ぐんま昆虫の森」
2005年8月1日にオープン、約48haの土地(東京ドーム約14個分)に里山を復元。冨士山沼ゾーン・雑木林ゾーン・桑畑ゾーン・水田ゾーンの4つのゾーンを配し、出来るだけ自然環境に近い状態で多種にわたる昆虫を飼育している。ただし、水田ゾーンは非公開となっている。
巨大なガラス張りの生態温室は建築家の安藤忠雄さんが手がけた。また、昆虫観察館では自然観察プログラム・里山生活体験プログラム・館内体験プログラムが組まれたり、別館では図鑑や学会誌などが多く貯蔵されているフォローアップ学習コーナー、かやぶき民家がフィールド上にある。
安藤忠雄さんは「建築物は木々の成長と共に里山の緑に隠れていき、樹木の中にキラキラとドームのガラスが光る。『単なる博物館』の枠を超え、現実の里山と一体となって子どもたちが五感で昆虫やそれを育む自然環境に触れられるような施設を目指した」と述べている。建物はガラスのドーム屋根と、曲線の打放しコンクリート内外壁、大きな池などが特徴の斬新なデザイン。複雑な造形のドーム屋根には、1辺2.5mの三角形の強化ガラスが1287枚使用された。一片一片の形状が微妙に異なる200種類のガラスを使用しているため、曲面の屋根をいかに高精度に取り付けるかが施工上のポイントとなった。