くりっ(9) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

平野三昧(1)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ひらの1

がんこ「平野郷屋敷」を紹介したので・・・久しぶりに「平野」に行ってきました。両親のご機嫌伺いという名目です。地下鉄谷町線「平野駅」は、昔の「西平野駅」付近になります。降りるとすぐにビッグエコーというカラオケ店があって、カエルがトレードマークです。その後方に新しいマンションが写っていますが・・・昔は、日本臓器製薬株式会社の本社工場がありました。独特のニオイが漂っていたことを、今でも覚えています。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ひらの2

■日本臓器製薬株式会社

関西を発祥とする製薬会社。過去には抗アレルギー系分野に強かったが、近年では鎮痛剤領域を主なマーケットにしており、中でも整形外科、ペインクリニックなどで汎用される鎮痛薬「ノイロトロピン」は現在に至るまで同社を代表する薬品の一つとしてその名を知られている。

近年では一般用医薬品で貧血治療剤のマスチゲンシリーズ(マスチゲンS錠、マスチゲンS内服液など)をテレビでCM放映しており、さらには「アイストローチ」、「ドライノーズスプレー」など医薬部外品分野への市場参入している。以前は「セパクリン」という水虫薬の製造・販売も行っていた。

その他製薬会社としては珍しく、ごみ焼却プラントなどのエンジニアリング事業もおこなっている。かつてはオーストリアに本社を置くイムノ社が製造した血液製剤を輸入販売していたこともある。このためHIV訴訟では被告企業として訴えられた。

1939年10月:大阪市生野区に、株式会社大日本臓器研究所として創業設立。

▼1942年4月:本社及び工場を大阪市平野区に移転。

1954年12月:小西甚右衞門が相談役として経営に参画。

1960年8月:塩野義製薬との総代理店契約を解消し、製品の自主販売を開始。

1961年1月:社名を日本臓器製薬株式会社に改称する。

1964年5月:小西甚右衞門氏、社長に就任。

1965年5月:スイス・ビオバザール社及びフランス・プロメディカ社と業務提携成立。

1983年6月:兵庫県加東郡社町(現・加東市)に生物活性科学研究所を竣工。

1983年11月:財団法人小西国際交流財団を外務大臣認可により設立。

1986年4月:兵庫県小野市に小野緑園工場竣工。

1993年11月:日中合弁企業・北京小西保健食品有限公司を設立。

1994年1月:北京事務所設立。

1994年09月:日中合弁企業・上海小西生物技術有限公司設立。

1996年11月:技術研究所竣工。

1999年5月:小西サウスカロライナ医科大学炎症研究所設立。

2002年1月:現社長・小西龍作が社長に就任。

2005年5月:上海小西生物技術有限公司 星火工場竣工。

2005年12月:小野緑園工場 2製造棟竣工。

▲2007年3月:平野工場閉鎖、製造拠点を小野緑園工場へ統合。

2007年11月:生物活性科学研究所 新研究棟竣工。

2008年4月:製剤研究所棟竣工。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ひらの3

「西平野駅」から「平野駅」までは歩いてもすぐなので、天王寺からの帰りなどはわざとここで下車して、道草しながら家まで帰ったものです。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ひらの4

写真の遠方に、もう「平野駅」が見えています。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ひらの5

ここが昭和58年4月27日にオープンした「プロムナード平野」、すなわち南海平野線跡です。途中、昔のままの町家が1軒だけ残っていました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ひらの6

まもなく「平野駅」跡ですが、途中にその駅舎モニュメントなどが設置されています。ちょうど、「平野駅」の1番線ホームあたりです。