家紋の気分(9)
菅原道真の肖像における衣装の紋様について、いろいろ調べてきましたが、一つの結論に達しました。
飛鳥時代や奈良時代に中国(隋・唐)から伝えられたもので、当時これを使用できるのは、貴族階級の者に限られていました。一般庶民には見ることすらできない高貴なものとされ、長い間貴族の中でだけ受け継がれていきました。この「染織文様」は、中国風のスタイルをそのまま伝えたものでしたが、平安時代以後、貴族の衣の生活に合うように工夫され、和様化します。その和様化された文様を「有職文様」と呼んでいます。日本最古の貴族専用の文様も、和様化された後、鎌倉時代の頃には武家にも使われ、次いで一般にも使用されるようになりました。
■藻勝見・勝見襷(もかつみ・かつみたすき)
水草「マコモ」が繁茂した様子を象ったもので、平安時代の絵巻物には袍の文様として藻勝見がよく見られます。近世になると袍にはあまり用いられなくなりました。「勝」という字を尊んで武士が装束に用いることもありました。
さて、我家の紋が10分割になっていることについて、調べてきましたが、2分割~6、8分割が最も多く、7そして9が比較的少なく・・・
そして、次の10分割を発見することができました。
しかし実際のところ、5分割をさらに分割しての10分割がほとんどです。
この「いの一番」を忘れていたなんて・・・
■1957年11月 武田食品工業株式会社設立
1958年 4月 プラッシーの生産開始
1960年12月 いの一番の生産開始
武田食品工業は武田薬品工業の食品部門の子会社でした。2002年には調味料部門(いの一番)が武田薬品工業と麒麟麦酒が合弁で設立した「武田キリン食品」へ移譲、さらにその後、麒麟麦酒100%出資の会社となって「キリンフードテック」に社名変更されています。清涼飲料水部門は2006年に武田薬品工業とハウス食品との共同出資会社である「ハウスウエルネスフーズ」に移行しました。この会社もハウス食品の完全子会社になり、武田薬品は食品事業から完全撤退しました。「いの一番」はキリンホールディングスへ、「プラッシー」はハウス食品に引き継がれていきました。
■うま味調味料類「いの一番」2009年4月(株)キリン協和フーズ営業開始