読書の秋・・・忘れていました「二宮金次郎」
その昔、どこの小学校の校庭にもあった「二宮金次郎」・・・
その姿が消えたのは、いろいろな思想信条があったから・・・
仕事をしながら勉強をすること・・・それはそれで素晴らしいのだけれど、「ながら族」が問題になったという背景もある。
交通事故が多発する世の中にあって、単純に二宮金次郎の真似をする子どもが出てきてもこまる。
いろいろな学校で、読書離れを食い止める方策として「朝の読書」などが取り組まれている。
しかし、特別な「時間」を設けなければ読書ができない・・・それもこまったことである。
裏を返せば・・・「時間」がなかったら読書できない・しないということになりはしないか?
読書は、「時間」をうめる道具ではなく・・・心の隙間すなわち「空間」をうめたり満たしたりする道具である。
「時間」に追われる現代社会だからこそ・・・心に太陽を、唇に歌を、そしてポケットに本を入れておきたい。
私は、常に本を持ち歩いている。読みたい時に読めるように・・・まさしく「携帯」することをお勧めしたい。