「横顔」ビッグ・ニュース
■「美しきプリンセスの横顔」と題されたレオナルド・ダ・ヴィンチ作の可能性が高い肖像画が見つかったとのニュースが届けられています。判定の決め手は絵に残された指紋で、肖像画の左上に残っている指紋と現在バチカン美術館に保管されているダヴィンチの絵画「聖ヒエロニムス」に残された指紋が酷似しているそうです。また、放射性炭素年代測定によると、絵は15~17世紀に制作されたことも判明し、描かれた女性は当時ダヴィンチの後援者だったミラノの公爵の娘の可能性が高いとしています。この肖像画は2年前、カナダ人収集家がニューヨークで当時1万9000ドル(約170万円)で購入しましたが、ダヴィンチ作と見られることで、現在は1億5000万ドル(約134億円)以上の価値があるということです。世界の何処かに、まだまだ私たちの知らないたくさんのお宝が眠っているかもしれないと思うとわくわくさせられます。
■ダヴィンチの作品?本物なら100年ぶり発見
AP通信は14日、カナダ人の収集家が米ニューヨークで買った女性の肖像画が、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)の作品の可能性があると報じた。肖像画に残った指紋が、他の作品に残された指紋と一致した。本物であれば、ダヴィンチによる主要作品の発見は100年ぶりという。「美しきプリンセスの横顔」と題された縦34センチ、横25センチの肖像画で、AFP通信によると、ミラノ公スフォルツァの娘がモデルの可能性がある。チョークとインク、鉛筆で描かれ、署名はない。収集家は2007年、スイス人収集家のためにニューヨークの画商から購入、芸術作品の科学解析専門家が調べたところ指紋が一致した。肖像画は購入時、1万9000ドル(約170万円)だったが、ダヴィンチ作と見られることで、現在は1億5000万ドル(約134億円)以上の価値があるという。
■ダヴィンチの人物画か?決め手は残された指紋2009/10/14
ローマ共同、イタリアのルネサンス期を代表する芸術家レオナルド・ダヴィンチ(1452~1519年)のものである可能性が高い人物画が、カナダの美術専門家により見つかった。判定の決め手は絵に残された指紋だった。14日付イタリア紙コリエレ・デラ・セラなどが伝えた。絵は当初、1万9千ドル(約170万円)で落札されたが、ダヴィンチのものと確認されれば1億ユーロ(約133億円)以上の価値があるという。女性の横顔を描いた絵(縦33センチ、横23センチ)で、19世紀のドイツ人画家の作品とされ、1998年にニューヨークでの競売で同市の美術商が落札した後、カナダの収集家に転売されていた。その後、ダヴィンチの作品の可能性があるとしてカナダの専門家が赤外線などを使って鑑定した結果、絵の左隅に人さし指か中指の指紋を発見。指紋は現在バチカン美術館に保管されているダヴィンチの絵画「聖ヒエロニムス」に残された指紋と酷似していた。放射性炭素年代測定によると、絵は15~17世紀に制作されたことも判明。オックスフォード大の別の専門家は、描かれた女性は当時ダヴィンチの後援者だったミラノのルドビコ・スフォルツァ公の娘の可能性が高いとしている。
「まよ子」に登場した「イオナ」の作者がわかりました。
■上野浩重(本名:上野浩)広告制作アートディレクター
企業・地域のアイデンティティー構築を手伝いつつ、関連のグラフイックをデザイン。トータルなイメージづくりを請け負う。近年は上野浩重として博多の浮世絵を手掛け、2002年2003に個展を開催。
[所属団体]日本グラフイックデザイナー協会(JAGD)
[経歴]1947年福岡市生まれ。1970年多摩美術大学デザイン科卒業
1970~1978年(株)アドエンジニアーズ・オブ・トーキョーで広告アートディレクター。エディトリアルデザインも多数。
1978~1985(株)創美企画でアートディレクター。イオナ・インターナショナル、三和シャツター等の全制作物を担当。
1985年東京都渋谷に上野浩デザイン室。出光石油化学の新事業のデザイン等。会社案内等、各種パンフレット類も多数。
1991年福岡市中央区に移転。
私は子供の頃から浮世絵が好きでした。高校の美術部では油絵を描いていましたが美大時代は、浮世絵的な趣のイラストが得意でしたし、卒業してから依頼された、音楽雑誌「レコード芸術」の表紙は現代浮世絵のつもりで、二年間描き続けたものです。その後、本業のグラフィックデザインでも基礎化粧品メーカー「イオナの」シンボルビジュアルとして、日本人の肌と髪をもつ白人女性の横顔絵を浮世絵的に制作。今でも使用されています。
■歌川国政「市川蝦蔵の暫」
大胆な横顔構図、迫力ある眼、朱の隈取。歌川国芳「鬼若丸の鯉退治」。赤い鯉と黒い流紋の対比がダイナミック。「讃岐院眷族をして為朝をすくふ図」。鮫の鱗、烏天狗の翼の書き込み、白い飛沫、海の藍と鮫の黒が溶け合うグランデーション。豪壮な構図と細かい仕上げが組み合わさった迫力。
東洲斎写楽が一世を風靡し消え去った寛政7年の末、歌川国政が歌舞伎役者の大首絵を発表する。役者の生身の姿を強調した写楽に対し、国政は役者の魅力と性根を誇張して描き、瞬く間に人気絵師となった。「初代岩井粂三郎の島原の禿わかば」は、色っぽい目とすけ口の唇に手彩色が施され、凄みのある美貌を持つ粂三郎をよりあどけなく描いている。国内で開催された「ボストン美術館浮世絵名品展」に出展された「市川鰕蔵の暫」は、手前に袖の三升、中央に睨みの利いた蝦蔵を配した大胆な構図で、鮮やかさが引き立っている。寛政8年には、春英・豊国と並んで役者絵の腕を競い、しかし将来を期待されながらもその後10年ほどで廃業、38歳の若さで没したと言われている。
■五代目團十郎は蝦蔵と改名した。五代目團十郎を襲名したとき、親父様が四代目團十郎から三代目海老蔵を襲名。自分は、親父様にはかないませんと、謙遜の意味から立派な「海老」ではなく、稚魚えびの「蝦」として親父様が亡くなったあとに改名。五代目、團十郎は、さいごは市川蝦蔵として役者人生を閉じた。
■浮世絵初期/明暦の大火ごろから宝暦の頃までをさす。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主である。17世紀半ば以降、木版画の原図を描く者を版下絵師といい、その中で絵本や浮世草子に挿絵を描いた菱川師宣が登場する。また、代表作として有名な『見返り美人図』は肉筆画である。
■菱川師宣の信頼できる肉筆画の中で世にもっとも知られた作品であるが,一人立ち美人図である点では珍しい作例でもある。歩みの途中でふと足を止めて振り返った印象的な姿は,まさに「菱川様の吾妻俤」(ひしかわようのあずまおもかげ)(『虚栗』)と謳われたそのものであろう。
■日本では昔から、正面やななめ横の顔のみを重視し、横顔の美醜についてはあまり気にかけて来ませんでした。こうした傾向は、既に江戸時代の浮世絵にも見られ、横顔を描いた美人画を目にすることは少ないようです。また、横顔の「横」という言葉は、日本語では、「よこしま」、「横道にそれる」、「横槍を入れる」などのように、あまり良い使われ方をされていません。英語の「profile」(「横顔」という意味があります)という言葉を「人物紹介」という意味に使う場合には、その人物の全人格が含まれていますが、日本語の「横顔紹介」という表現には、「あまり知られていない隠された部分」というニュアンスが強いようです。このように、我が国では、これまで「横顔」に重きを置かず、どちらかというと横顔のバランスをおろそかにして来ましたが、世界の情報がリアルタイムでかけめぐる情報化社会の到来とともに、雑誌やテレビなどにも、きれいな歯並びとバランスのとれた横顔の若者を見かけるようになりました。皆さんも、そろそろ伝統的な正面顔文化から、グローバルスタンダードとしての横顔文化に目を向けてはいかがでしょうか。