まよ子外伝(19) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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ライオン・ヘアー


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自己主張?自己顕示?自己満足?


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「20世紀少年」たちはロングヘアー、というより無精髪?ギターかかえて旅に出た。


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河島英五「野風増」


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■河島英五本人の語録に「野風増」は岡山県の方言で、「生意気」とか「つっぱり」の意味だが、県北部では男の勲章になり、南部では喧嘩になるそうです。

お前が二十歳になったら・・・酒場で二人で飲みたいものだ

ブッかき氷に焼酎入れてつまみはするめかエイのひれ・・・

■もともと岡山県(中国地方)の方言で、生意気なとかつっぱる(立ち向かう)という意味で使われていた。(「あいつは人の言うことを聴かないのふうぞな奴だ」など)語源は、ある国文学者によると「のふうぞという方言はもともと野風俗から来たのではないか?粗野とか荒々しいという意味で・・」と言われている。昭和55年12月、山本寛之が38才の時、第1回目の作品発表「ジャンプ81」のコンサートの時、当時10才の泣き虫で軟弱な我が息子に、人から生意気な奴だと言われても、いつも何かに立ち向かって行って欲しいと願い、息子へのメッセージソング として、野の風が増すという意味で漢字を作り、「野風増」(のふうぞ)という歌を発表。その6年後に、河島英五はじめ9人の人たちが自分の息子へと想いを込めて唄われた。