新しいコンセプト・・・「造器」
長靴に入っていたこの物体・・・何らかの作品にしようと考えていました。
まずは、張り子です。
「臓器」のように見えましたので・・・「肺」をイメージしました。そこで、これまで蓄えていたタバコの封印ラベルを部分的に貼ってみました。私の「肺」はニコチン・タールで真っ黒に違いありません。
現在、国会で「臓器移植法」改正について審議されています。そこで、作品コンセプトを「造器」とすることに決定しました。
移植医療「生と死に寄り添う議論を」柳田邦男さん
「移植医療とは、一人ひとりの死をどうとらえ、どう見守っていくのかということ」。作家の柳田邦男さん(73)が2日、臓器移植法改正案を審議する参院厚生労働委員会で参考人として質疑に応じた。脳死状態を経て亡くなった次男の腎臓を、移植のために提供した経験をもつ。臓器を提供するドナーや家族と、提供を受ける患者や家族。それぞれの生と死に寄り添う議論の必要性を訴えた。柳田さんは厚生労働省の「脳死下での臓器提供事例に係る検証会議」のメンバーだ。「一例一例見てきて、現実に起こっていることをベースに」と切りだした。検証会議は、同法に基づく臓器提供事例81例のうち50余例を検証し、公表してきた。A案を可決した衆院で、こうした検証結果に関する議論はほとんどなかった。柳田さんはまず、「重要な部分が一度も議論されなかったことに大変驚き、懸念を感じた」と国会審議のあり方を批判した。そのうえで、「移植が始まって10年にして、かすかに見えてきたのがこういうこと」と、ドナーの家族が置かれた厳しい状況を説明した。ドナーと遺族の姿が公になることは少ない。柳田さんは「臓器提供を誇りに思い、生きる支えにしている家族がいる一方、心的外傷をひきずる家族の両方がいる」。家族のケアの必要性への社会的認識が遅れていると指摘する。柳田さんの次男が臨床的に脳死と診断され、亡くなるまでの間、その25年間の人生を思い、家族のきずなを考えたことが、かけがえのない経験になったという。移植医療のみとりでも、「時間的ゆとりが極めて重要」と訴えた。現行制度は脳死を一律には人の死としていない。「ダブルスタンダード」とも指摘される。柳田さんはそのことを否定しない。「一人ひとりの人生と死生観を大事にするという意味では、こうしたダブルスタンダードこそが、新しい文化のあり方であり、日本が伝統的にもっていたあいまいさの良さを残すものだと思う」と述べた。日本では事実上受けられない移植を受けるため、海外に渡る子どもたちがいる。一方で、子どもを突然失い、悲しみに暮れる親がいる。「そうした親たちが納得いくみとりができる制度でなければ、日本人がいい死の文化、命の文化を持ったことにならないのではないか」。柳田氏はそう疑問を投げかけた。柳田さんはこの日、改正案への賛否は明確にしなかった。それでも、「一人ひとりの死を大切にすることと、臓器移植のニーズとの調和を図るため」として、いくつかの提言を投げかけた。まず、衆院で可決されたA案の内容を踏まえ、「『脳死は一律に人の死』と断言するには、一般の人の意識が成熟したり、社会的な取り組みが発展したりするまで待つべきだ」とした。その上で、A案は、「脳死判定を拒否することが例外的なイメージを持たせている」と指摘。脳死判定を拒否する権利について、「真っ先に法律の条文でうたい、社会的に広く認知すべきだ」と訴えた。また、日本文化の「ファジー(あいまい)」な部分に注目し、死は「白か黒か、イエスかノーかではない」。西欧の合理主義的な考え方と一線を画すことが大事だとした。移植コーディネーターの医療界における地位と質を向上させることや、子どもの脳死についても、小児科学会など様々な関連専門分野の見解がまとまるまで、法律で枠組みを先に決めてしまうのはやめるべきではないかとした。一方、意思表示カードをなくす点については「臓器を取りやすくするのだろうが、本当にいいのか。柱を外してしまう意味を持つのではないか」と指摘した。