ビオトープ切目川より・・・
■ビオトープ切目川 http://blog.murablo.jp/biotope/
管理人の中田さんは、かえる友の会・関西支部の会員です。自然を愛し環境保護活動を続けておられます。そのブログに、印南町川又観音の会式が紹介されていました。
■川又観音
室町時代、熊野詣での修験者がこの滝にうたれて修行中、ふと見ると滝つぼに光るものがあり、手に取れば」一寸八分の金の観音さんであった。もったいないと祠を設けてお参りしたのが現在の奥の院であるといわれています。ここには、室町初期の作といわれるケヤキ材の観音像があり、篤信の老婆が熊野より背負い来て安置したという伝説もあります。厄除けの観音としてあがめられるとともに、この地、深山幽谷滝あり泉ありて清冽な水が湧出しています。この水を汲んで目を洗えば眼病が良くなるとおまいりする人も多い。会式は4月18日に行われます。
春には桜やシャクナゲが咲き乱れて参道を飾り、秋には紅葉が趣を添えます。特に石楠花は3800本とも言われる数が植栽され、春には見学のお客様で賑わいますが、植えられているのは栽培種のみで、この地方の本石楠花(ほんしゃくなげ)が無いのはちょっぴり寂しい気もします。
境内にカエルの石像が数体置かれているのは、印南町は紀伊印南駅近くの「かえる大橋」に代表されるようにさまざまな施設などに「考える」「人をかえる」「町をかえる」「古里へかえる」「栄える」ことができるようカエルの意匠を積極的に取り入れており、その所以で奉納されたものだと思われます。
鳥居をくぐると前方に手水舎が有り、その後に根元近くから二本に分かれた巨樹が目を引きますが、これは大きな葉が特徴のトチの大木で、県の天然記念物に指定されています。最奥には行場としての「菱の滝」があり、観音堂先の赤い橋を渡ると見えてきます。落差20mのこの滝は紀州の名水50選のひとつに数えられており、一番奥の赤い橋を渡った滝の際には、岩盤からの湧水の水汲み場が設けられています。また、滝の名は滝口から落ちる水の形が菱形に見えるところからこの名がついたといわれています。
中田さんは実際にビオトープを整備され、さらに油絵も制作されています。
第5回上野の森美術館・日本の自然を描く展1992年で佳作賞、以後毎年入選されています。
中田さんと知り合ったのは、印南町のかえる橋が縁でした。
■千両の里・印南町真妻
センリョウは緑色の葉に赤や黄色の実がなり、正月の生け花に用いられます。真妻(まづま)の昼夜の寒暖差が千両の栽培に適し、色鮮やかなセンリョウが生産されています。センリョウ畑は竹や寒冷紗で覆い日焼けを防止し栽培しています。
中田さんから毎年、お正月用の千両を届けていただいております。
■和歌山県日高郡印南町
古来、紀伊半島南部一帯は熊野信仰の地で、平安時代、京から多くの貴族が熊野を訪れ、それにつれ 熊野街道が発展していった。町内には熊野信仰にまつわるさまざまな社や文物がのこっており、豊かな緑と共に、独特の雰囲気を形成している。黒潮に乗って北上するカツオの漁が古くから行われており、江戸時代、印南の漁師は足摺岬沖に好漁場を発見し、通い漁が盛んになった。1670年代には印南の漁師である二代目角屋甚太郎が青カビを使った鰹節の製法を開発し、印南の浜はカツオ漁とカツオ節製造で大いに栄えた。明治22年に町村制度が実施され、印南村、稲原村、切目村、切目川村、真妻村が誕生し、明治33年には印南村が印南町に改称された。昭和31年には、印南町と稲原村が合併して印南町となり、切目村と切目川村の一部が合併して切目川村となり、さらに真妻村と切目川村の一部が合併して安住村となった。昭和32年には上記3町村が合併して印南町として現在にいたっている。