ひらの(4)
■大念仏寺は融通念仏宗の本山で、大阪府下でも最も大きな木造の建造物です。昔は天王寺からその屋根が見えたといいます。鎌倉時代に法明上人の布教によって、大和や河内など畿内各地に多くの信者が拡がりました。この歴史に培われた深い信仰は、各地の村落や寺にいろんな伝承が生まれ残されました。法明上人に鉦を返しにきた亀鉦伝説、それを喜こんで踊る信者に海中から沢山の亀が現われ、踊りに加わった話などいろいろありますが、特に当寺には、住吉の社人、山上末太夫の妻が幽霊となって現われ、道和上人の回向によって成仏し、残していった「亡女の片袖」をはじめ、数々の幽霊の掛軸があり8月の第4日曜日には一般に公開されます。
「万部おねり」の時は、「亡女の片袖」だけが宝物館で展示されていました。
それにしても「幽霊博物館」とはケッタイなお寺です。
■「平野」と呼んでいる場所は、大正時代まで「平野郷」(正確には「平野本郷」)と呼ばれていた旧市街。現在の大阪市平野区の中心部に位置する、約1キロ四方の小さな地域です。かつて環濠自治集落としてその名を近世史に残した同地区には、戦国時代に作られた環濠の跡が2箇所に残り、環濠内部の町割りも江戸初期のものがそのまま残っています。また、経済的にも豊かな地域であった平野は、文化的にも先進の地域でした。庶民がつくった学校としては日本最初の「含翠堂」が建てられ、連歌などの活動も盛んに行われました。地車(だんじり)で知られる杭全神社夏祭をはじめ、様々な伝統行事が、かつての地域文化を今に伝えています。
旧「南海平野駅」前での地車(だんじり)です。
この駅のすぐ左隣が私の実家なのです。
駅がなくなり、私の実家が丸見えになりました。







