笑う魚(3)
■金城次郎 沖縄の美しき青き海を、魚が笑い、海老が舞う。
壺屋焼伝統を受け継ぐ職人であり、沖縄第一の民藝陶芸家(本人は陶工と語っています)、世界にも注目された日本を代表する人間国宝。ロクロの名手は、線彫りから刷毛目、指掻き、流し掛けなど様々な技法を自由自在に用いて、沖縄の笑う魚や舞う海老、唐草模様、幾何模様などを描いた多様で独特な作品を生みだしました。鑑賞美術品でなく、原点は日用雑器。次郎さん自身の人柄が滲み出る、親しみやすくて、大らかなのに力強い作品たちは他の人間国宝をはじめとする陶芸家にはない何かをはなって、今も見る者を惹きつけてやみません。
1912年(大正元) 沖縄県那覇市与技に生まれる。
1924年(大正13) 壺屋の名工新垣栄徳の製陶所に従事、陶器を習う。
1946年(昭和21) 那覇市壷屋に窯場を開き独立。浜田庄司や河井寛次郎らの指導を受ける。
1956年(昭和31) 第30回国展にて新人賞受賞。
1958年(昭和33) ルーマニア国立民芸博物館に「抱瓶」と「魚文大皿」2点が永久保存される。
1967年(昭和42) 第一回沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞。
1969年(昭和44) 第43回国展にて会友優作賞受賞。日本民藝館賞受賞。
1971年(昭和46) 第一回日本陶芸展「白掛魚文線大皿」入選、海外巡回展。
1972年(昭和47) 読谷村字座喜味に登窯を築く。同年、沖縄県無形文化財(技能保持者)に認定。
1973年(昭和48) 国画会会員となる。
1977年(昭和52) 労働省「現代の名工」として表彰される。
1981年(昭和56) 勲六等に叙し瑞宝章を受賞
1985年(昭和60) 重要無形文化財「琉球陶器」の保持者(人間国宝)に認定(沖縄県初)。昭和60年度沖縄県功労章受賞
1993年(平成 5) 勲四等瑞宝章受賞
1997年(平成 9) 作陶を休止。
2004年(平成16) 12月24日、心筋梗塞のため逝去( 92歳、戸籍上では1912年生まれですが、出生届が1年遅れていて実際には1911年生まれで、93歳でした。)
■読谷「やちむんの里」
1682年の頃、琉球王朝の尚貞王は、各地に点在した窯場を壺屋に集めて陶業の進行を図りました。そして、今まであった技術に加え、日本、中国各地の技術を吸収しながら多彩な焼き物を作っていきます。現在でも、那覇の壺屋には多くの焼き物屋が軒を並べ、登り窯の跡などもあり、当時の繁栄を時間を超えて垣間見る事が出来ます。ただ、最近では住宅が密集してきたので、焼き物を焼くには環境的に無理が生じてきたために窯場は読谷村の座喜味城跡の近くにあるやちむんの里の方に移っています。人間国宝の金城次郎氏が招致され、「やちむんの里」構想に何人かの陶芸家達が共同登り窯をつくり、その後若手の陶工が読谷山焼「北窯」として独立、現在は何軒のも工房が立ち並び、各々売店、展示場などが併設されて週末には、この山間の里に来る人々も増えています。
金城さんの娘さんの作品です。「笑う魚」が受け継がれています。