ぎょ(222) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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泥鰌(7)


おにへい1


■鬼平犯科帳<巻の26>泥鰌の和助始末

平蔵の長男・辰蔵が、坪井道場で見たという恐るべき剣法。その様子を聞くにつれ平蔵の脳裏には、一人の剣客の顔が浮びあがった。「もしや……松岡重兵衛?」。松岡は、平蔵のかつての道場仲間。しかし悪事に手を染め、長く行方不明となっていた。その松岡に仕事を持ちかけたのが泥鰌の和助、〔大工小僧〕の異名をとった盗賊で、家屋敷の新築や改築のときにひそかに細工をし、後日盗みに入るその道の達人だった。この二人が手を組んで……


おにへい2


■『泥鰌の和助始末』より 

(1)平蔵は新吉原の西側をぬけ、浅草田圃を浅草寺の境内へ出て参詣をすまし、それから上野山下へもどることにした。山下には平蔵の亡父.宣雄がひいきにしていた〔伊勢屋〕という料亭があり、平蔵もよく此処へ来る。伊勢屋は川魚料理が名代で、鯉の洗いへ葛そうめんをそえたものに、卵の黄身を月に見立ててあしらったものなどは、平蔵の大好物であった。

(2)蕎麦にしろ鰻にしろ、近年は、調理法に贅沢な変化があらわれてきはじめた。辰蔵が子供のころは、鰻なぞも丸焼きにしたやつへ山椒味噌をぬったり豆油(たまり)をつけたりして食べさせたもので、江戸市中でも、ごく下等な食物とされていたものだ。とても市中の目ぬきの場所に店をかまえて商売ができる代物ではなかったのである。それが近年、鰻を丸のままでなく、背開きにして食べよいように切ったのへ串を打ち、これを蒸銅壺にならべて蒸し、あぶらをぬいてやわらかくしたのを今度はタレをつけて焼きあげるという、手のこんだ料理になった。これをよい器へもって小ぎれいに食べさせる。


■私の知っている鰻屋に「和助」という店がある。「なまず」と「どじょう」が混同されているように、「うなぎ」までも? ようするに「ぬるぬる」した黒い魚ということなのかもしれない。


■「どぜう」が造語であることは調べてわかったが、「どじょう」そのものの語源を調べてみると・・・

語源未詳で、歴史的かなづかいについても「どぢゃう」「どづを・どぢを」「どじゃう」「どじょう」「どぜう」などとする諸説があるそうですが、「ぢ・じ」「ちゃう・ちょう」に発音の別が存した室町期の文献に「ドヂャウ」「土長」の表記がみられるところから、「どぢゃう」となります。泥の底にすむ(土の中で生きているから“土生”が語源だという説もあり)。