ぎょ(147) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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鱗話(8)


火消し1


■通説では、魚の硬い鱗は外敵から身を護る大切な役割を果たしている事から、これにちなんだ物とも言われ、鎧や火事装束などにも用いられたりしてきました。


火消し2

■雪がしんしんと降る中、主君のあだを打つべく吉良邸へ討ち入りした赤穂浪士の討ち入りの衣装は、黒地に白ヌキの鱗文。しかし、これは「歌舞伎」の世界での衣装らしく、実際は???


忠臣蔵1

夜、目立たぬように吉良邸まで大勢でしのびよるためには・・・黒色の「火消装束」が適していたと考えられる。袖口に白色の「鋸歯文(山形模様)」が付いていたとは到底考えられない。


忠臣蔵2

■幕末新撰組の衣装はあさぎ色に白ヌキの鱗文。


新撰組1

文久三年(1863)三月、京都守護職の会津藩主松平容保お預かりということで、新撰組(壬生浪士組) は誕生した。以後、新撰組は守護職配下の特別警察隊として、京都市中の治安維持のために働いた。同志を統率する局長(隊長)には、近藤勇と芹沢鴨の二人が就任し、土方歳三、山南敬助、ほかに芹沢派の新見錦が副長となった。隊士も新規に募集され、五〇人ほどの陣容が整えられた。はじめ郷土八木源之丞家を屯所としていたが、人数の増加にともない、前川荘司家や南部亀次郎家も占拠して使用するようになった。壬生村に本拠を置いたので壬生浪士組と名乗ったが、この年八月十八日の政変における働きが認められ、十九日に朝廷より新選組(「撰」ではなく「選」が正しいらしい)という隊名が与えられた。


新撰組2

隊の象徴ともいうべき隊旗には、赤地に白く「誠」の一字を染め抜き、彼らの偽りのない心が表された。当時の証言だと隊旗は緋羅紗地(赤色の厚手織物生地)に「誠」一文字を白抜して山型模様の「ダンダラ」があしらわれ、大きさはおよそ縦四尺横三尺(121cm×91cm)の大きさで高島屋に作らせたと言われている。


新撰組3

また、制服としてつくられたダンダラ羽織は、浅葱色の麻地で裾に白地の山形模様をあしらったもので、人気歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』で赤穂浪士が身に着けていた討ち入り装束に擬えたデザインと言われ、大丸呉服店(現・大丸百貨店)に作らせたと伝えられている。ちなみにこの色と形を決めたのは芹澤鴨だったらしい。