青の伝説(86) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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上田紬

古くから養蚕がさかんで良質な絹産地として名高い信州長野県には、伝統的工芸品に指定されている上田紬をはじめ、飯田紬、伊那紬など、それぞれの土地に根ざして発展した信州紬がある。上田紬は、経糸(たていと)に、生糸や真綿の手紡ぎ糸、蚕が二つ入って絡まりあった玉糸の手引き糸を使用し、緯糸(よこいと)に紬糸を作って織り上げている。そのため、さらっとした風合いの中にも、真綿糸の温かみや、玉糸ならではの節感が感じられ、しっかりと丈夫な風合いに織りあがる。鮮やかな藍色、水色、赤などの、爽やかな彩りで、おしゃれな格子模様、糸の太さの違いや節糸に染まった微妙な色あいの変化が、紬ならではの良さを感じさせる。民謡伊那節に、ハァーア、桑の中から小唄がもれる---、と歌われたように、長野県は昔から全国でも屈指の養蚕県だった。農村地帯では、各家庭で蚕が飼われ、まゆから糸をとって絹、特に紬(ツムギ)を織るのは、農家の主婦の大事な仕事だった。現在では紬織りは、上田・松本・伊那・飯田地方で、信州紬として企業化されているが、歴史的に知られ量産を誇ったのは飯田紬と上田紬。紬はもともと絹糸のとれない出蛾まゆや玉まゆなどの屑まゆを真綿に引き、それからつむぎ取った糸で織った布。上田紬は、天正年間(1573~92)に真田氏が真綿をつむいで織ることを勧めたのが始まりで、これを真田紬と呼び、後に上田紬になったともいわれる。紬織りはヨコ糸に紬糸織るので、ふつう絹織物のように一定の細く長い糸で織ったようななめらかさ、つややかさ、軟らかさはない。しかし紬織りには手織らしいしっとりした手ざわりとつやを抑えた地味さ、素朴さがある。庶民から生まれ、庶民に愛されてきた上田紬は、今もその美しさと丈夫さ、渋い温かみが珍重され愛用者が多いという。上田の紬も江戸時代の文化・文政(1804年~1818年)のころ隆盛期を迎え、その名は全国に知れわたったという。その後、時代の移り変わりとともに衰退の一途をたどったときもあったが、現在はみごとに復興。現在、上田紬は上田市の6軒の工場で織られている。伝統的な手織の業者も2軒、上田紬手織保存会を作り、手織の振興をはかっている。往時の名残りをとどめる旧北国街道沿いにある小岩井紬工房もその一つ。

《紅花》中近東原産の(アフガニスタン山地)キク科の1年草で30㎝から1メートルに成長し、夏にアザミのような黄色い花が咲きます。紅花の栽培は高冷地でないと難しいとされ、日本では山形県、長野県で栽培されております。紅花には二つの色素があり、一つは黄色素(サフロールイエロー)で水に溶けやすく、もう一つは紅色素(カルタミン)で、黄色素に比べて含有量が少なく紅色を染めるためにはまず黄色素を取り除かなければなりません。通常紅花を染めるには寒い冬の時期が最適とされ、冷たい水で色鮮やかに染まります。紅花染めした布は、直射日光に弱く染めた色が退色しやすいですが、自然の色の優しさを兼ね備えた華麗さ、色の持つ重みがあり染料として使われています。薄色(うすいろ)紅花で染めた薄い色で、普通薄色と言えば薄い紫のことをさしますが、時には紅花で薄く染めた色のこともさします。今様(いまよう)平安時代に紅花で染めた当時の流行色。一斤染め(いっこんぞめ)紅花一斤(紅花百匁、現在の600グラム)で、絹1匹(シルク2反)を染めた淡い色。