青い物語(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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「智恵子抄」より
智恵子は東京に空が無いといふ
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間にあるのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くをみながら言ふ。
阿多多羅山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
明治44年光太郎は長沼智恵子と出会いました。智恵子は学業優秀で日本女子大学に進学。卒業後は洋画を志し、女性解放雑誌『青鞜』の表紙を担当するなど時代の先端を行く女性でもありました。大正3年結婚。智恵子との交流の中から、光太郎は、彫刻に、詩に、書にと、優れた作品を次々と生み出して行くこととなります。しかし、智恵子は、最愛の人と共にありながら、創作上の悩みや、実家の倒産など、現実と理想の狭間で、次第に精神の均衡を失ってゆきました。やがて、人と語ることのなくなった智恵子は、その最晩年、失った言葉の替わりに光太郎への愛のメッセージであるかのような千数百点の造形美溢れる紙絵を制作しました。