子どもの未来、どうしますか? ~子どもたちのためにできること~ | しょみんの目ぇ             ~Common people's eye~

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尋常高等小学校の卒業を控えた14歳の1941年1月、教師から「勉強しながらお金がもらえるから」と大久野島(現・広島県竹原市)行きを勧められた。(略)

 

何を勉強するのかを知ったのは、島に渡ってから。軍の教官から開口一番、毒ガスを作ると伝えられた。口止めの誓約書も書かされたが、抵抗感を覚えるどころか「やってやろうじゃないか」と奮い立った。教育勅語などを通じて、とっくに軍国少年になっていた。(略)

 

たとえ相手が1人であっても、依頼があれば毒ガス製造について、証言するつもりだ。戦争は過去の話ではなく、今の問題。加害の事実を叫び続ける責任が私にはある。

 

(2020.11.25(水)大阪日日新聞 

          『語り残す戦争の記憶』第5部②より)

 

 

児童文学作家の山中恒さんは国民学校4年の時、1編の作文を書いた。題は「大東亜戦争の起こった日」。12月8日朝、開戦を告げるラジオの臨時ニュースに勇み立つ。「とうとうやったぞ」「私は我が皇国の有難さをしみじみ感じました」。軍国少年の高揚がにじむ。

 

と思ったら、実のところ担任教師の手がかなり入ったそうだ。「とうとうやった」も「我が皇国の……」も加筆修正の産物である。(略)

 

「子どもたちが綴った戦争体験」(村山士郎著)にも、激しい文句が並んでいる。(略)が、どこまで本心だったか。添削もあったのだろうか。(略)

 

「国家はしばしば、子どもたちを食いものにするし、権力保持のための予備軍としてしか見ない」。山中さんの指摘である。大げさだと笑う気にはなれない。

 

(2023.12.8(金)日経新聞より)

 

 

そう、まさに笑う気にはなれない。

 

昨今の「子育て支援」が不気味に思われるのは、このあたりに原因があるのだろうか。

 

「産めよ増やせよ、国家のために」

「産めよ増やせよ、殺すために」

「産めよ増やせよ、殺されるために」

 

「国家はしばしば、子どもたちを食いものにするし、権力保持のための予備軍としてしか見ない」

 

14歳の少年に毒ガス製造に携わることを勧めたのは学校の教師である。

学校とは国家が運営する機関。

その在り方が適切かどうかは、本来はわたしたちがしっかりと見張っていなければならない。

 

子どもの将来を、多くの親御さんは気にかけている。

お受験に熱を上げたりもする。

 

しかし、「学校」は万能ではない。

「お国のために死んでこい」こんなことを教育したのも「学校」であった。

 

現在を生きるわたしたちの行動が、未来をつくる。

 

現在は過去の積み重ねであり、未来は「今」の積み重ねで出来上がる。

 

戦闘機をつくり、武器をつくり、誰かを不幸に陥れることでカネを稼ぐ日本にするのか。

誰もが平和に安心して生きていけることに力を注ぐ日本にするのか。

 

問われているのは、わたしたち一人一人の在り方である。

 

平和を続けることができるかどうかは、今を生きるわたしたち一人一人にかかっている。

その責任は、わたしたち一人一人にある。

 

 

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