「ノー」と言わずに読んでみた(毛内拡『脳を司る「脳」』を読んで) | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

脳の研究の最先端を紹介すると同時に、「まだまだ脳については全然わかっていない」ということも教えてくれる良書。

 

脳の働きは、コンピュータの仕組みに例えられることがある。それは、脳にある神経細胞(ニューロン)を伝わる電気的な信号(デジタルな信号)によって、身体にさまざまな指令が伝えられるからだろう。だから、これまでの脳研究はニューロンを中心に行われてきた。

 

しかし、顕微鏡技術の発展によって、実はニューロン以外の「細胞外スペース」を通して伝わる「アナログ信号」が、脳の働きにとって重要な役割を果たしていることがわかってきた。本書は、その研究の最先端を紹介するものである。

 

さて、いま世の中では、AI技術の発展に象徴される「デジタル」の可能性が花開く一方で、「人間らしさ」という言葉に象徴されるような「アナログ」の大切さが見直されている。そして脳の研究においても同様の流れが生まれていることは興味深い。

 

脳を研究しているのは、あくまで脳が生み出している「意識」であり、その「意識」が向けられたものが「発見」される。その前提にはもちろん技術の進歩があるのだが、その使い方はやはり人間の「意識」に依存しており、その意味で、私たちの生きる「世界」は、一面において人間の「意識」が作り出すものだと言える。

 

本書によれば、脳の中ではさまざまな細胞同士がやりとりをしているという。これを僕なりに人間同士のコミュニケーションに例えれば、「言葉による意味のやりとり」がニューロンによるデジタル信号で、「場の雰囲気や気分などの伝達」は細胞外スペースを通したアナログ信号にあたる、と言えるかもしれない。

 

目に見えないもの、言語化できないもの、どうにもよくわからないものが、実は重要な役割を果たしている。このことは脳の仕組みに限らず言えることだろう。

 

少し本筋とはズレてしまうが、僕が本書の中で面白いと思ったのは、いわゆるアカデミックな研究に内在する弊害についても指摘されている点である。それは次のように述べられている。

 

研究者の間では、今でも脳組織を単なる生理食塩水とみなすことが暗黙の了解となっています。おかしいと思いながらも、それを認めざるを得ないというような状況なのです。なぜならば、すでにその前提で書かれた論文がたくさんあるからなのです。(194頁)

 

これは僕も常々思っていることで、「先行研究を無条件に土台とすることの危うさ」とも言える。土台が崩れれば、その上に築かれたものも全て崩れる。それを避けようとするあまり、すでに明らかであるはずの「土台の誤り」が無視される。その傾向は、権威のピラミッドが強固な分野ほど強いように思われる。当然ながら研究は停滞するか、誤った方向へと向かうことになる。

 

そのような状況を打開するためにも、本書のように、一般の人が最先端の研究にふれる機会を提供することは、これからますます重要になってくるはずである。「専門家であるがゆえの妄信」あるいは「専門性を盾にした倫理の破壊」ということは往々にして起こり得る。ナチスが高度な専門家集団でもあったことを忘れてはならない。なんだかずいぶん本書の内容から離れてしまったが(笑)、日本のコロナ対応を見ていると、ついそんなことを考えずにはいられないのである。

 

「『人工知能』という言い方はあっても『人工知性』とは言わない」と著者は指摘する。それは彼によれば、「知能とは、答えがあることに(素早く、正確に)答える能力」であり、「知性とは、答えがないことに答えを出そうとする営み」だからである。今日のような時代の転換期に求められるのは、明らかに後者の「知性」だろう。そしてその「知性」の働きに大きく関わるのが、本書のタイトルでもある「脳を司る『脳』」である。

 

決してスルスルと読める本ではないが、ここはひとつ「ノー」と言わずに読んでみて欲しい。

 

脳を司る「脳」 最新研究で見えてきた、驚くべき脳のはたらき (ブルーバックス)