映画「馬ありて」の初上映を観てきた。
感想を言語化することを拒むような、まるで意識の深層に染み入るような映画だった。
古来から続いてきた馬と人間との営みには、現代人である僕たちの倫理観が及ばない深みがある。
それを象徴するのが、映画の中で語られる「オシラサマ」の言い伝えだろう。そこには、人間の馬に対する感謝や、畏怖や、贖罪などの、矛盾したあらゆる想いが込められているような気がする。そしてこの言い伝えの中に、僕は言いようのない救いのようなものを感じた。
上映後には、笹谷遼平監督と、写真家の石川直樹さんとのトークショーがあった。
石川さん自身も、世界中を旅する中で、失われゆく文明を目の当たりにしてきた人である。それだけに、この貴重な記録を収めた映画を高く評価しているようだった。
「時間とともに消費されるのではなく、その価値を高めていく映画」との評に、僕も共感するものがあった。
パンフレットを買って読んでいると、そこにグッとくる言葉を見つけた。映画に登場する馬飼いの戸田富治さんが、監督の笹谷さんに言った言葉である。
「笹谷くん、僕は君をなんだか旧知の友人のように思っている。だから、表面的な映画は作らないで欲しい」(監督 笹谷遼平「「馬ありて」の旅」より)
温かくて、そして厳しい言葉だと僕は思った。
と同時に、なぜか僕自身も、戸田さんに「表面的な人生は送らないで欲しい」と言われたような気がして、はっとさせられた。
都会の表層を生きていると、人は自分のいのちを生きることを忘れがちになる。自分のいのちが、自然とのつながりと共にあることを忘れがちになる。
それは人間の倫理観だけで捉えれば矛盾に満ちたもののはずなのに、その矛盾を感じずに生きられているとき、僕たちの人生は「表面的なもの」にすぎないのかもしれない。
もしもこの街に突然一頭の馬が現れて、思うがままに駆け回ったとして、僕たちはそこにいのちの躍動を見ることができるだろうか。何かにはっと気づくことがあるだろうか。
映画「馬ありて」は、東京渋谷のシアター・イメージフォーラムにて上映中。
かがり火WEBに寄稿していただいた監督からのメッセージもぜひご覧ください。