「自然にはかなわんなぁ」〜市野雅彦陶展「– 空ッ po –」を訪れて〜 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

2019年7月某日。

 

以前、地域づくり情報誌『かがり火』の連載に登場してくれた陶芸作家の土師夕貴子さんが、師匠である市野雅彦さんの個展に合わせて丹波篠山から上京するとのことで、一緒にその個展を見に行ってきた。

 

会場は日本橋三越本店。タイトルは市野雅彦陶展「– 空ッ po –」

 

市野さんの作品には、人間の意匠を超えた「自然の働き」のようなものが含まれている。だから陶器自体が生命力を持っているように感じられるし、初めて見た作品でも、不思議と親しみを覚える。そこには、市野さんの人柄も反映されているのかもしれない。

 

しばらく作品を眺めていると、市野さんが会場にやってきた。前回お会いしたのも、確か東京での個展。ちなみに初めてお会いしたのは、土師さんを訪ねてお邪魔した窯元・大雅工房でだった。

 

久々のご挨拶をしてから、「どの作品も、自然と人間の協同作業という感じがして、とてもいいですね」と率直な感想を述べると、市野さんは小さくうなずき、こう答えた。

 

「自然にはかなわんなぁ、と思いながらいつも作ってます」

 

その言葉を聞いて、「ああ、やっぱりこの人はすごいなあ」と改めて感じ入ったのだった。

 

市野さんの作品には、この自然への畏怖と敬意が練り込まれている。その想いがあるからこそ、自然の力を、作品の力に生かすことができるのだろう。

 

うる覚えなので確かではないけれど、この個展でも、市野さんはある作品を指して、土師さんにこんなことを言っていた気がする。

 

「これ見てみい。土がこんなにふくらむんやで。おもろいなあ」

 

そんなふうに、自分の創造性を誇るのではなく、そこに顕われた自然の働きを面白がる。そう言えば初めてお会いした時にも、「自分の作品を論理的に説明することはできない」ということをおっしゃっていた。

 

もし僕が同じセリフを言ったとしたら、「それ、失敗しとるだけやないか」と言われること請け合いだが(笑)。

 

作家の個展は撮影禁止であることも多いが、市野さんの個展は撮影自由である。そういうおおらかさも僕は好きだ。

 

市野さんの創作の哲学からは学ぶことが尽きないのである。