手書きの文字と身体性 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

手書きの文字というのは不思議だ。

 

みんな学校で、

同じ見本を見ながら、

同じ文字を修得したはずなのに、

みんな違う文字を書く。

 

いま、ある仕事で、

ものすごくたくさんの人の

手書きの文字を眺めている。

 

それがいちいち、それぞれ、違うのだ。

 

にもかかわらず、

その文字が読めてしまうのは、

考えてみれば不思議なことだ。

 

……いや、

たまに読めない文字もあるけれど(笑)。

 

「文字」という言葉は

「知性」の衣をまとっているけれど、

手書きの文字は明らかに

「身体性」が生み出している。

 

「お母さん」という文字の連なりは、

誰が書いたとしても「お母さん」を意味するように、

記号としての文字は普遍性を持っている。

 

でも手書きの文字としての「お母さん」は、

その書き手に固有の文字である。

 

「筆跡鑑定」によって

ほぼほぼ個人が特定されるという事実は、

そのことを端的に表している。

 

この「普遍性と固有性の併存」ということが、

「人間」と「社会」の関係を考える上で、

本当はとても大切なことなのだと思う。