やりたい理由を探してはならない | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

「理由がない」ということほど強いものはない。

 

「なんか知らんけど好き」

「よくわからんけどやめられない」

「どうしてもそっちへ行ってしまう」

 

いい悪いは置いといて、

そういう理由なき衝動というものがある。

 

理由があって好きなことは、

その理由がなくなったら

好きじゃなくなるかもしれないけど、

理由がなくて好きな場合は、

好きな理由がなくなることもない。

 

でも現実問題として、

それをやりたいわけじゃないけど、

 

「これをした方がいい」

「こっちに行った方が得だ」

「こっちに行かなければならない」

 

という場合だってある。

 

でも、「本当はやりたくない」。

 

その挙げ句に、

「それをやりたい理由」を無理やり探したり、

強引に作り上げたりしようとすると、

なんだかおかしなことになる。

 

なぜなら、

「やりたい理由を探す」

という行為の中に、

「やりたくない」

という答えがすでに含まれているのだから。

 

だからそういう時は、

「いま自分はそれをやりたいわけじゃない」

ということをはっきりさせた上で、

「しかし訳あってそれをやるのである」

ということを明らかにしておいた方がよい。

 

そうしないと、

自分が本当にやりたいことが、

いつのまにかわからなくなってしまうからだ。