筋トレは希望を生む | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

前回のブログで書いたように、9月20日頃から筋トレを再開した。せっかくなのでその過程を、ブログでも報告していくことにした。

 

基本的なプランは、月・水・金の週3日。さすがにブランクが長いので、あまり負荷はかけずに、リハビリ的に始めていくことにする。

 

メニューは次のとおり。

 

  • 「腕立て・腹筋・背筋・スクワット」各25回×2。
  • インターバルダッシュ(ダッシュ→ジョグ→ダッシュ……の繰り返し)20分程度。

 

ふだんトレーニングをしている人からすると超軟弱なメニューだと思うが(笑)、とにかくケガをしないことが第一。ゆっくりゆっくり始めます。

 

今日は午前中にメニューをこなして、人生初のプロテイン摂取(笑)。

 

 

 

 

種類はTestosterone著『筋トレが最強のソリューションである』で紹介されていたホエイプロテイン(ヨーグルト風味)。まず形から入るのが僕の流儀である。

 

午前中にこのメニューをやるだけで、「もう今日のやるべきことは全てやった感」が出てすがすがしい。いや、本当にやるべきことは他にあるのだが(笑)。

 

僕の専門は哲学で、時間論を研究しているので、筋トレの効用を時間論的に少し論じてみようと思う。

 

人間が生きる上で大切なことは「希望」を持つことだと言われる。この「希望」の本質を時間論の観点から言えば、それは「時間の流れを肯定できること」だと僕は思う。

 

未来に希望を持つということは、時間が未来に向って経過していていくことを肯定できることにほかならない。逆に「絶望」とは、「時間の流れを肯定できないこと」だと言うことができる。時間の流れを肯定できないと、自分が存在していること自体が苦しくなってくる。だから絶望が極まれば、そこで自分の人生の時間を終わらせたいとさえ思ってしまう。

 

「時間の流れを肯定できること」が「希望」だとして、その最終地点にあるのは一般的に「死」だと考えられる。その意味で、究極の希望とは「死の肯定」である。死を肯定することができれば、そこに向かうまでのすべての時間をも肯定することができるだろう。

 

さて、前置きが長くなってしまったが、話を筋トレに戻そう。

 

結論から言えば、「筋トレは希望を生む」

 

筋トレをすると、傷つけられた筋繊維が以前を上回る強さに回復する「超回復」が起こる。それにかかる時間は筋肉の部位にもよるが、およそ48〜72時間だと言われる。だから一度筋トレをしておけば、その後自分が何をしていようと、たとえダラダラと怠けているだけであっても、筋肉はせっせと「超回復」に励んでいるのだ。

 

これ以上に「時間の流れを肯定できること」が他にあるだろうか。あると思うけど、これがけっこうな「希望」を生み出してくれるのだ。何かうまくいかないことがあって、「俺の人生うまくいってないんじゃないだろうか……」なんて思う時でも、「だが筋肉はいまも着実に超回復している」と思うと、もはや「時間の流れを肯定せざるをえない」。

 

要するに筋トレは、「希望を体内に内蔵すること」に他ならないのだ。

 

絶望した時こそ、筋トレをしよう。

 

 

Testosterone著『筋トレが最強のソリューションである』