「そう思ったら、そうする」ではなく | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

「そう思ったら、そうする」

 

これはある時に思いついて、

できるだけ実践しようと思ってきた言葉だ。

 

「そう思ったら、そうする」

だなんて、あたりまえのことじゃないか、

と思われるかもしれないけれど、

なかなかどうして、

これが実践できないのである。

 

電車でお年寄りに

席をゆずることひとつをとっても、

やっぱりちょっと勇気がいる。

 

寝る前にお菓子を食べちゃダメだ!

とわかっているのに、

ついつい食べてしまう。

 

「そう思ったら、そうする」

ということが完璧にできたなら、

どれだけ有意義な日々を送れるだろうか。

 

けれどもつい最近、

「そう思ったら、そうする」

という言葉自体に、

その実践をむずかしくする

要因があることに気づいた。

 

本当は、

「そう感じたら、そうする」

と言わなければならなかったのだ。

 

「思う」というのは能動的な行為で、

「意志」に近いところがある。

 

しかし僕のように意志の弱い人間には

「意志」を実践することは大変なことなのだ。

 

だから、「思う」前の、

「感じた」段階でやってしまうのだ。

 

「思う」は能動的だが、

「感じる」は受動的だ。

 

逆説的に聞こえるかもしれないが、

「感じる」という受動性からのほうが、

スムーズに「実践」に移行できる気がする。

 

「感じる」→「思う」→「実践する」

 

だと、「思う」のところで煩悩に負けるのだ。

 

だから煩悩が沸く前にそれをやる。

 

「感じる」→「実践する」

 

なんだかけっきょく

『考えない論』に戻ってきたわけだ(笑)。

 

もちろんこれは一概には言えないけれど、

ときどき自分の行為の主導権を

思考から身体のほうへ移してやると、

いろんなことがシンプルになっていく気がする。

 

 

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