「そう思ったら、そうする」
これはある時に思いついて、
できるだけ実践しようと思ってきた言葉だ。
「そう思ったら、そうする」
だなんて、あたりまえのことじゃないか、
と思われるかもしれないけれど、
なかなかどうして、
これが実践できないのである。
電車でお年寄りに
席をゆずることひとつをとっても、
やっぱりちょっと勇気がいる。
寝る前にお菓子を食べちゃダメだ!
とわかっているのに、
ついつい食べてしまう。
「そう思ったら、そうする」
ということが完璧にできたなら、
どれだけ有意義な日々を送れるだろうか。
けれどもつい最近、
「そう思ったら、そうする」
という言葉自体に、
その実践をむずかしくする
要因があることに気づいた。
本当は、
「そう感じたら、そうする」
と言わなければならなかったのだ。
「思う」というのは能動的な行為で、
「意志」に近いところがある。
しかし僕のように意志の弱い人間には
「意志」を実践することは大変なことなのだ。
だから、「思う」前の、
「感じた」段階でやってしまうのだ。
「思う」は能動的だが、
「感じる」は受動的だ。
逆説的に聞こえるかもしれないが、
「感じる」という受動性からのほうが、
スムーズに「実践」に移行できる気がする。
「感じる」→「思う」→「実践する」
だと、「思う」のところで煩悩に負けるのだ。
だから煩悩が沸く前にそれをやる。
「感じる」→「実践する」
なんだかけっきょく
『考えない論』に戻ってきたわけだ(笑)。
もちろんこれは一概には言えないけれど、
ときどき自分の行為の主導権を
思考から身体のほうへ移してやると、
いろんなことがシンプルになっていく気がする。