自然と共に生きていく技術 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

自然の中で生きる人々は、「自然と共に生きていく技術」を持っている。

 

しかし、東日本大震災などの大災害が示しているように、自然の猛威はときに人間のあらゆる技術や計らいを飲み込み、破壊してしまう一面を持っている。

 

だが、本当に自然の中で生きるということは、そういう「どうしようもない自然」をも受け入れながら生きていくということにほかならない。

 

だから、「自然と共に生きていく技術」とは、「おのずからの中で生きていく技術」であり、「あらゆる出来事を受け入れる技術」でもある。

 

全てが人間の計らいによって作られたような都会に生きていたって、「思いがけない出来事」は当たり前のように起こる。しかし、都会に生きていると、そこに何かしらの原因を求め、克服しようとする。

 

確かにそれは、ひとつの尊い行いである。しかし世の中には、「なぜそうなったのかわからない」という出来事が、少なからず起るものである。だが都会に生きていると、そういうものを受け入れる力が、どうしても弱まってきてしまうような気がする。何かしら原因を求めずにはいられないのだ。

 

そういう出来事が起ったときに、なお、それを「受け入れながら」生きていく力。その意味での「自然と共に生きていく技術」というものが、これからの変化の時代には求められているような気がする。

 

もちろんその一番の先生は「自然」なのであり、若者の田舎志向にも、そのような技術を求める潜在的な意識が働いているのかもしれない。……と考えるのは、あまりに深読みしすぎだろう(笑)

 

 

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