澄めば都 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

住めば都。

 

「どんな所でも住み慣れれば

 そこが最も住みよく思われるものだ」

 

という意味だという(大辞林)。

 

ところで最近、仏教について

聞いたり話したりする機会が多い。

 

そんな中でこの

「住めば都」という言葉を聞いたとき、

別の意味が浮かび上がってきた。

 

それは、「澄めば都」である。

 

別に「空気がキレイな場所がいい」

とかそういうわけではなく、

心のありようのことを

言っているのである。

 

その場所のことを

「好き」とか「嫌い」とかいうのは

その人の煩悩の働きである。

 

そういう価値判断さえ超越した

「澄んだ心」を持った人にとっては、

どこでもが「都」たりえる、

というわけである。

 

そういう人にとっては、

すでに現世が「浄土」であり、

これが本当の「即身成仏」というものだろう。

 

もちろんそんな境地に至るのは

並大抵のことではない。

 

だが逆に考えれば、

「どこで暮らしても機嫌よくやっていける」

という、一見お気楽な、自在な精神には、

実は悟りに通じるものがあるのかもしれない。

 

 

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