実に僭越ながら、
拙著『考えない論』を彷彿とさせる内容で、
終始ウンウンとうなずきながら読了した。
「魂のまにまに、気になることをやる。
そうすると自分の魂がすごくよろこんで、強くなっていく。
頭で決めないこと。感じたことからやりなさい。
魂のまにまにを大事にして」(164頁)
これはもう大きな紙に毛筆で書き写して、
部屋の壁に貼っておきたいところである。
そして本書で特に印象的なのは、
羽黒修験にある「うけたもう」という言葉。
修験道では、山に入ったら全て自然から学ぶ。
まず全てを受け入れる。
そこには自然に対する「信頼」があるのだろうと言う。
この「うけたもう」は、
以前に星野さんのお話を直接聞いた時に教えてもらって、
日常生活の中でも折々に思い出してつぶやいている。
「うけたもう」。
バカボンのパパに言わせれば
「これでいいのだ」となるのだろう。
「予定も何もなし。
みんなどこに行くのか知らない。
ただ『うけたもう』という答えでいいの」
これなどはまさに人生の神髄である。
もちろんそれを完全に実践することができないのが
悲しき「人間」という存在なのだが、
その「悲しさ」を自覚するところに、
人間が人間として生きていくことの
深みもまたあるのだろう。
「気になるって、頭がさせるわけじゃない。
気になるのは、魂がさせるわけだから。
……その気になることをどんどんやればいいんだ。
そうしたら、魂がよろこぶ。
ところが気になることがあっても、それを止めるのは頭。
何やかやとやらない、やれない理由が出てくるんだ。
それは頭がそうさせているんだ。
そこでやめずに、気になることをどんどんやるんだよ」
(92-93頁)
魂とは、いわば「人間の内なる自然性」であり、
ここで語られているのはその
「内なる自然性」への「信頼」ではないだろうか。
山という自然への信頼を通して、
自己の内側にある自然性への信頼に至る。
そしてそれらは別々のものではなく、
一体のものであったことに気づく。
そうすると、
「うけたもう」という生き方が
受動的なものではなく、
主体的なものとしてあらわれてくる。
そこには「自力」と「他力」の区別のない、
「自ずから然り」の世界がある。
装丁の写真の青空のように、
さわやかさと深みを兼ね備えながら、
実に読む人を自由な気持ちにさせてくれる一冊である。