ずいぶん前のことになるけれど、
ある飲み会でこんなことがあった。
「……でも、40歳過ぎてから
プロ野球選手になるのは無理でしょう」
「いや、それだってできますよ」
僕よりもかなり年配の二人が議論している。
「いや、現実的に無理じゃないですか」
「可能性はありますよ」
具体的に何と言っていたかは
覚えてないけれど、
内容的にはそんな話だった。
端的に言えば、
「夢を叶えるのに年齢は関係あるか」
という議論である。
どちらも「夢に年齢は関係ない」
という考え方には同意しているのだけれど、
「それでも肉体的な衰えもあるのだから、
プロスポーツ選手とかは無理でしょう」
という意見と、
「それすら必ずしも無理ではない」
という意見の対立である。
これが学生の議論ではなく、
立派な大人の議論であるのがよい
(もちろん学生だっていいけれど)。
まあ一般的な考え方としては、
40過ぎてプロ野球選手なんていうのは、
「現実的に無理」というのが普通だろう。
しかしそれを
「無理じゃない」と言っているその人は、
決してただの空想家などではない。
有名な国際的企業の社長も務めた、
極めて現実的な思考の持ち主なのだ。
この議論をどう捉えるかは
人それぞれで自由なのだが、
僕はこの「無理じゃない」と言う人のことを、
「信用できる」と思ったのだった。
見ようによっては、
単に自分の考え方を無理矢理に
正当化しようとしているだけかもしれない。
そうであるならば、
極めて自己中心的な意見である。
しかし、僕にはそうは見えなかった。
そもそも
「40過ぎてプロ野球選手は無理」
というのは常識的は判断であり、
彼の中にもその考え方がないはずはない。
そのうえで、
「自分の考えが絶対ではない」
ことを知っているから、
「それだってできないとは言えない」
と言ったように見えた。
その意味では極めて謙虚な意見なのだ。
最近では野球よりも体力を求められる
プロサッカーの世界で、
50歳の「キング・カズ」がプレーしている。
だからと言って
誰もがそんな夢を追う必要は
全くないのだが(笑)、
その人が生きる世界を決めるのは
その人の思考によるところが大きい。
自分はどういう世界を生きているのかを、
自分の言葉から再確認してみるのもよい。