隠された能力の発見 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

ある発表のために、

本の画像をスキャンしたいと思ったのだが、

ウチにはスキャナーがない。

プリンターしかないのだ。

 

どこか近所で

スキャンできるところが

あるかなーと考えてみたが、

ちょっと思いつかない。

 

いまやプリントはどこでもできるが、

スキャンできるところは意外に少ないのだ。

 

こうなったら最悪、

クオリティは下がるけれども、

画像を携帯カメラで撮って

それを張り付けるか……。

 

 

う〜ん、と思っていたところで、

たまたまビックカメラの前を通りかかった。

 

めちゃくちゃ安いスキャナーがあったら、

これを機に買うのもアリか……。

 

そう思って店内に入り、

店員さんにスキャナーのことを聞いてみた。

 

すると、僕が持っているのと

同じ形のプリンターを指差して、

「これはスキャンもできますよ」

と言うではないか。

 

え?それスキャンできるの?

 

それは僕が持っているのより

上位機種だったのだが、

「もしかして……」と思い、

家のプリンターの機能を改めて調べてみた。

 

……ありました、スキャン機能。

 

僕の頭の中では、

「とにかく安いプリンターを買った」

というイメージがあったので、

まさかスキャナーがついているとは

思いもよらなかったのだ。

 

いや、たぶん買う時には、

「スキャナーも付いてるからコレにしよう」

と思って買ったのだと思うのだ。

 

しかし時間が経つにつれて、

そのことをすっかり忘れていた。

 

おかげでずいぶん助かったのだが、

こういうことはけっこうある気がする。

 

どんな能力があったとしても、

それが発見されなければ、

それは無いのと同じことになる。

 

これは人間にも言えて、

「自分には何の才能もない……」とか、

「アイツは何をやらせてもダメだ」なんていうのは、

その能力を発見できてないだけである、

ということがけっこうあるのではないか。

 

僕のプリンターのように、

「あ、こんな能力あったの忘れてた(笑)」

ということはあり得るのだ。

 

僕が自分のプリンターの

スキャン機能のことを忘れていたのは、

それを使う機会がずっとなかったからだ。

 

だから人間の隠された能力が発見されるのも、

「それを使う機会」に出会った時なのだろう。

 

だからといって、

隠された能力を発見するために

いろんなことにチャレンジする必要など

さらさらないのだが(笑)、

やむなくそういう状況になってしまったら、

そんな能力の発見の機会と受け止めて、

気楽に取り組むのもアリかもしれない。

 

 

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