むぎのときいたる | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
ムギイカというイカを
知っているだろうか。

スルメイカの
若くて小さいやつのことを
そう呼ぶらしい。

ちょうど麦の収穫期に
たくさん釣れるから
「ムギイカ」だそうだ。

それを知った時は
「へ~」と思っただけだったのだが、
思いがけずこの名前の見事さを
実感させられる出来事があった。

いま、たまたま魚に関わる
仕事をしているのだが、
5月の末くらいになってから、
これまでさっぱり釣れなかったムギイカが、
急にたくさん釣れだした。

そんな時に、
ツイッターでフォローしている
「暦生活」のアカウントから、
旧暦の暦のツイートが流れてきた。

「今日は5月31日(旧暦4月25日)の火曜日
 七十二候「麦秋至(むぎのときいたる)」5/31~6/4頃
 麦が熟し、たっぷりと黄金色の穂をつけるころ。
 実りの季節を「麦の秋」と呼びます」

まさに!
だからムギイカが釣れ始めたのか!

「麦の季節」は「ムギイカの季節」というわけだ。

昔の人はこうして、
自然と自然との関係の中に
時間を見ていたのだ。

そしてこのような暦を
「自然暦」と言うらしい。

現代人である僕らは、
この自然暦を往々にして
「不確かで時代遅れのもの」
というふうに考えがちだ。

ところが、
全国各地の「自然暦」を調べて歩いた
川口孫治郎は、自然暦について、

「太陰暦よりも太陽暦よりも
 確かなところがある」

と言う。

それはその通りで、
たとえば同じ5月31日でも、
沖縄と北海道では季節が異なる。

旧暦の七十二候だって、
どの地域にでも当てはまるわけではない。

川口孫治郎曰く、

「然るに、
 自然暦はその地方の自然と自然とを
 関係させて人が見当をつけたのだから、
 その地方にとって確かなのは勿論である」
(川口孫治郎『自然暦』)

つまりここでの暦は、
世界共通の時間ではなく、
その地域に固有の、
ローカルな時間にほかならない。

そしてかつての人々は、
そのようなローカルな時間の中で
暮らしていたのである。

そこでは「時間」とは、
人間と自然のつながりそのものだった。

それに比べると、
私たちが生きている現代の時間は、
ずいぶんと無機質な、
抽象的なものに感じられる。

もちろん、
現代社会はそのような
共通の時間なしには成立しない。

だがそんな中でも、
「麦が実るとムギイカ釣れる」のような、
自然のつながりを感じられる時間は
もっとあっていいのではないか。

いいのではなイカ。


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