連続ドラマ「家族ノカタチ」 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
きのう最終回を迎えた
連続ドラマ「家族ノカタチ」。

今クールで唯一、
全部の回を見たドラマだった。

独身貴族を満喫する
永里大介(香取慎吾)のマンションに、
田舎の親父(西田敏行)が転がり込んで来て
いろんな騒動を引き起こす。

同じマンションの上の階に住むのが、
「クレーマーはなこ」こと、
ヒロインの熊谷葉菜子(上野樹里)。

大介の父親の「迷惑行為」(?)によって、
大介と葉菜子の会社の同僚、
そしてお互いの家族や友人なども巻き込み、
いつのまにやらたくさんの
「人のつながり」が生まれていく。

そんな中で、
「自分は結婚には向いていない」
と思っていた大介と葉菜子は、
やがて心を通わせるようになり……。

というのが超ザックリストーリーでした(笑)

まず香取慎吾の役どころが
とっても等身大でよかった。

「きっと彼はプライベートでも
 このまんまなんだろうな~」

と見る人に思わせる自然な設定。

年齢の設定も、実際の香取慎吾と
同じ年齢だったのではないだろうか。

ちなみに香取慎吾は僕より一歳年上。

スマップでは一番年下だし、
僕もなんとなく「香取くん」と呼んでいたが、
実は「香取さん」だった(笑)

それはさておき、
このドラマが描いているのは、
いまの日本で最も切実な課題の一つである
「都市におけるコミュニティ形成」の、
ひとつの可能性だったのではないか。

誰もが全く関わりのない人同士として
すれ違いながら生活している都会でも、
人はつながることができるし、
それは全く特別なことではなく、
とっても自然なことなのだ。

そのために自分にとって
大切なものを捨てる必要もないし、
自分が変わる必要もない。

それでも、人との関わりの中で
自然と「変わっていく」自分もいる。

そのつながりを生む「ハブ」になるのが
田舎から出てきた大介の父親なのだが、
実は彼自身「人と関わらずに」
生きてきた人間だった。

しかし妻の遺書にあった
「一人より二人、二人より三人で……」
という言葉をきっかけに、
人とのつながりを回復していく。

親父が息子の家に転がり込んだのは、
自分が妻にしてもらったことを、
今度は息子にしてやろうと
思ったからではないか。

親父は死ぬ直前に、
次のような内容の言葉を残している。

「何も残してやれないけど……
 人を残してやることしかできないけど……
 でも一緒に同じ飯を食ってさ、
 お互いのことを思いやって。
 そんな人たちさえいれば、
 どんな大変なことがあったって、
 絶対に何とかなるんだよ」(意訳)

そういう人たちを「家族」と呼ぶなら、
別に血がつながってなかろうが、
一つ屋根の下に暮らしてなかろうが、
そんなことは重要ではない。

哲学者の内山節氏の言葉を借りれば、
お互いのことを思う「祈り」のあるところに
「家族」もまたある、ということなのだろう。

とってもよいドラマでした。


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