「階段でいこう」 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
エレベーターの前などに
よく貼られている、

「階段でいこう」

という標語。

健康のためにも節電のためにも、
できるだけエレベーターではなく
階段を使いましょう、というわけだ。

その提案はもっともで、
ぼくの大学時代の体育の先生も、

「エレベーターやエスカレーターは
 自分の身を削って乗るものと思え」

と言っていた。

そのときは楽でも、
結局自分の体の衰えを早め、
あとでしんどい思いをするということだ。

だが今回書きたかったのは
そんな教訓めいた話ではない。

「階段でいこう」

というこの言葉自体のことだ。

こいつを毎日毎日見ていると、
もともとの意味がどこかへ行ってしまって、
全く別のイメージが湧いてくるようになった。

「階段で、いこう」

という提案を意図する文章ではなく、

「階段でいこう」

というひとつの「名詞」に
見えてきてしまったのである。

では「階段でいこう」とは何か。

たぶん祭りのことではないだろうか。

「でいこう」という
伝統的な踊りみたいなのがあって、
それを階段でやるのだ。

だから「階段でいこう」。

浴衣を着た人々が、
階段で盆踊りみたいなのを
踊っているイメージだ。

それ以来、
「階段でいこう」
の標語を見るたびに、

「ここでもやっているのか」

という感慨をおぼえずにはいられない。

あなたの会社や学校でも、
「階段でいこう」はひそかに
行われているかもしれない。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村