何もしない運動
人類の未来は今、
何かを為すことによって解決するのではない。
何もすることは、なかったのである。
否! してはならなかった。
強いて言えば〝何もしない運動〟を
する以外にすることはなかった。
今まで人類は多くのことを為してきたが、
何を為し得ていたのでもなかった。
一切は無用であった。
この書は〝何もしない運動〟の一環である。
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自然農法を通して
社会と人間の近代化を痛烈に批判する、
福岡正信『緑の哲学 農業革命論
——自然農法 一反百姓のすすめ』。
彼によれば、
「期待した巨大都市の発達や、
人間の文化的、経済的活動の急激な膨張が
人間にもたらしたものは、
人間疎外の空しい喜びであり、
自然の乱開発による
生活環境の破壊でしかなかった」。
自然に仕える者としての百姓こそが、
人間本来の生き方であるとする彼の思想は、
3.11を経て、さらにその輝きを
増しているように見える。
「自然界では、すべてが関連し
何一つ不要なものはなく
何一つ孤立したものもない。
自然には必要とか不必要という言葉はない、
すべては同一体の一部にしかすぎない」
「自然の生命は、動物(人や家畜)と
植物と微生物(土)の間を
次々と循環しているにすぎない」
だがこのような感覚を
都会の暮らしの中で
感じることは難しい。
だからこそ、人々はいま
田舎との交流や移住という形で、
自らの生命性を回復させるための
きっかけをつかもうと
しているのかもしれない。
もちろんそれは、
自然とのつながり、
他者とのつながりを
回復することと同義である。
なんとなく「田舎で農業をしたい」
と感じている人々にとっては、
その意味を具体的に認識させてくれる、
バイブル的な一冊になりそうだ。

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