この前、統合失調症をもった
19歳の青年が病棟で大暴れして。
その時に叫んでいた言葉が
忘れられないんですよ。
「ここには人間がいない!」って。
(向谷地生良(西村佳哲『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』弘文堂、2010年、119頁))
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「ここには人間がいない!」
そう思わずにはいられない場面に
出くわす機会が年々増えているような気がする。
もちろんそんな風潮が生まれたのは
つい最近のことではない。
あるテレビ番組で、
あるキリスト者が語っていた話
(うる覚えなので適当です)。
さびれた炭坑の町で、
ずっと町の家々をまわって
何かを叫び続けるおじいさんがいた。
ついには隣町でも叫び回るようになり、
町の人たちはおじいさんのことを
地元の恥だと感じるようになった。
やがておじいさんは姿を消し、
しばらくして別の町で自殺したという
知らせが集落に届いた。
あの人は何を叫んでいたのだろうか。
いろんな人に話を聞いてみると、
彼が叫んでいたのは、
より大きな利益を求める利権者のために
炭坑で犠牲になった人たちのことだった。
「やい○○、出て来て話を聞け!!」
「あの事故のとき、お前は何をしていた!!」
「あいつが死んだのは一体誰のせいだ!!」
町の人たちが忘れようとした過去を、
記憶から消し去ろうとした人々のことを、
そのおじいさんは叫び続けていた。
誰もがそのおじいさんを変人扱いしたが、
「一体どっちが人間らしいのだろうか」
とそのキリスト者は問う。
「日常」を生きるために、
かつて共に生きた死者との関係を断絶し、
人間性を捨てなければならない。
そんな社会で「正常」に生きられるなら、
まず今の自分の生き方を
捨てるべきなのかもしれない。
向谷地生良さんの言葉と、
あるキリスト者の語り(うる覚え)は、
そんなことを考えさせる。
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