タイムトラベルの方法 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
「もしもタイムトラベルができたら……」

きっと誰もが一度ならず
想像したことがあるだろう。

だからタイムトラベルは
映画や小説などの題材になることも多い。

そして現実社会の中でも、
実際にタイムトラベルができるかどうかは
科学的なテーマとして真剣に議論されている。

そんな中で非常に申し訳ないのだが、
僕はすでにタイムトラベルの方法を
発見してしまった。

といっても
未来に行くことしかできないのだが、
方法はこの上なく簡単である。

もったいぶるつもりはない。

次の手続きを踏めばあなたも確実に
タイムトラベルを実現できる。

たとえば、
あなたが1時間後の未来に行きたいとしよう。
その場合、

①「今から1時間後の未来に行くぞ!」と意識する。

②1時間待つ。

③1時間後の未来に到着!!

なんと、何もせずにただ待つだけで、
タイムトラベルは成功してしまうのである。

もちろん30年後の場合も同じで、
ただ30年待つだけでいい。

なんじゃそりゃー!
という声が聞こえてきそうだが、
タイムトラベルとは
案外そういうものなのではないか。

たとえばあなたも
学校を卒業する時などに、
友達と一緒に「タイムカプセル」を作って
土に埋めたりした覚えはないだろうか。

その中には自分の大切なものや、
未来の自分への手紙を入れたりして、
10年後にみんなで掘り起こしたりする。

それを私たちは
「タイムカプセル」と呼ぶのだが、
要はそれを10年間放置しているだけの話である。

それでもやっぱり
10年後に「タイムカプセル」を開けるときには、
まるでタイムトラベルをするかのような
ワクワク感が確かにあるのである。

10年前の時間をそのまま閉じ込めた
「タイムカプセル」の中のモノと、
その10年の間に大きく変化した自分。

そのギャップが、
私たちに不思議な感動をもたらす。

では、その「タイムカプセル」を見るとき、
私たちはそこに「過去」を見ているのだろうか。
それとも「未来」を見ているのだろうか。

これは実にむずかしい問題であるように思う。

確かにタイムカプセルの中にあるのは、
過去の自分の思い出と共にある品々である。
その意味では確かに過去を見ている。

だが同時に、それを見た私たちの心は、
当時の幼い頃の自分と一体化し、
「その頃の自分」に帰っている。

そして「その頃の自分」の視点で、
あらためて今ここにいる
「現在の自分」を意識することになる。

その意味では、
私たちは未来を見ているのである。

「タイムカプセル」を開けたときの感動は、
この「過去」からの視点と「未来」からの視点が、
「現在」という時間において
交錯するところに生まれるのだと思う。

「現在」とはそんなふうに
「過去」と「未来」を含み込んだものとして
存在しているのではないだろうか。

もっと言ってしまえば、
「過去」とは、「未来」とは、
本当に時間のことなのだろうか。

わざわざタイムカプセルを埋めなくても、
実は自分の親が未来そのものであったり、
自分の子どもが過去そのものであったり
することもあるのではないだろうか。

そんなことを書いているうちに、
僕はかれこれ1時間ほど
タイムトラベルしてしまったようである。