日本を代表する経済学者、
宇沢弘文さんが亡くなった。
僕は経済学のことはよくわからないが、
宇沢さんほど現代の経済学のあり方に
危惧を抱いていた経済学者はいないのではないか。
特に環境問題に関して強い問題意識を持ち、
その観点から新自由主義を痛烈に批判した。
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大気はすべての人々にとってこの上もなく大事なものです。しかもその価値は人、国によって違うにもかかわらず、同じ値段で売り買いする。それは、市場原理主義、さらに言えば新自由主義の1つの負の現れです。
水俣問題も同じです。水俣湾というのは、有史以来、大事な共通の財産で、水俣の漁師たちは神聖なものとしていた。そのため、魚が沸きだすといわれるほど豊かな海だったのを、チッソが海を私有財として儲けのために使い、徹底的に汚染して壊してしまった、というのが水俣問題の原点です。
水俣は、地域住民にとっていちばん大事なものを、企業の利潤の名のもとに徹底的に壊した。それを官僚が全面的に協力していた。そういうところに日本の過去の歪みの原点があり、それが現在の環境問題をさらに大きくしているのです。
(『経済セミナー』No.652、日本評論社、2010年3月1日発行、21頁)
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ここで宇沢さんが指摘している
「日本の過去の歪みの原点」は、
現在においても大きな影響を及ぼしている。
企業の利潤を第一に考え、
自然と人間の関係を無視した政治や経済は、
過去の教訓を学ぶことなく、
原発の推進などといった形で
再び水俣の悲劇を繰り返している。
ところで
同じ『経済セミナー』の中で、
宇沢さんが経済学の道に進んだ
経緯が語られている。
宇沢さんのご冥福を祈りつつ、
その一部をここに転載させていただきたい。
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……だけど、大学を出て、特別研究生として残っていたころ、当時は戦争末期から戦後で、社会や経済がめちゃくちゃになっている。町には浮浪児があふれている。そのときに、多分に貴族趣味的な数学を自分の一生に仕事に選ぶことに、強い違和感をもたざるを得なかった。そんなときに、河上肇の『貧乏物語』を読んで感激した。特に、序文で、ジョン・ラスキンの有名な言葉“There is no wealth,but life”を引用して、アダム・スミスの『国富論』のエッセンスを完結に表現しているのに感激して、数学の特別研究生を辞めて、経済学を自分の一生の仕事にすることにしたのです。
私はその頃、お寺で修行していたので、このラスキンの言葉を「富を求めるのは道を聞くためにある」と自分なりに訳して、大事にしていました。
このように、私にとって経済学は数学の延長ではない。アダム・スミス、ジョン・ラスキン、河上肇の『貧乏物語』などが印象的で、心に残っています。だから、最近の金融工学とか市場原理主義などの似非経済学は我慢ならない。
(同上、13-14頁)
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