選択と態度 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
たとえば、ずいぶん昔に買った
古い歯磨き粉を家で発見したとする。

使わないともったいないけど、
古いのを使うのはなんとなくイヤだ。

歯磨き粉なんて新しいのを買っても
せいぜい200円くらいのものだろう。

たった200円のために、
古い歯磨き粉を使うこともない。

というわけで、新しい歯磨き粉を買う、
という選択をしたとする。

このとき、この人は200円を余分に支払ったわけだ。

ところが、実際にこの選択が及ぼす影響は、
この200円だけにとどまらないだろう。

なぜなら、こうした選択のひとつひとつが、
その人の「態度」を決定づけていくからである。

こうした選択は、
今後、似たような状況に置かれたとき、
同じような選択をする可能性を強化する。

200円より金額が低ければ
なおさらお金を支払うだろうし、
200円より金額が高くても、
これまでの態度が選択の基盤になる。

長い人生の中でこうしたことが
積み重なっていくのだから、
歯磨き粉を200円で買うという選択は、
「200円の出費」以上の意味を持つのである。

もちろん僕は、
別に古い歯磨き粉を使うことを
推奨しているわけではない(笑)

めちゃくちゃ古いものを使って
体調を崩してしまったりしたら、
それこそバカらしい話である。

もともと選択に絶対的な正解は存在しない。
だから、いくつになってもむずかしい。

しかし、そこに自分らしい規準を
設けることはできるかもしれない。

そのときに憶えておきたいのが、
選択は態度を強化するということである。

ある選択を迫られたときに、
こんな風に思ってみるとどうだろうか。

この選択は今回だけにとどまるものではなく、
今後の人生のあらゆる場面で、
今回と同じような選択をし続けるのだと。

選択を「点」の時間でとらえるのではなく、
人生という「帯の時間」でとらえてみる。

そうすると、
ものごとを選択する規準というものも、
少しばかり違ってくるような気がするのである。

こうしたことについては、
拙著『考えない論』の中でも
少しふれていますので、
もしよければご一読いただけると幸いです。