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近代ヨーロッパの合理化を賛美する者として
解釈されがちだったヴェーバーについて、
ニーチェとの深い親和性を明らかにしながら、
実は近代の批判者だったということを明らかにした本。
ヴェーバーは、
近代の自然科学を模倣した社会科学を
「中世神学の転化形態」ととらえ、
客観的なものの性質を明らかにしようとすることそのものが、
記号的・匿名的な形式の支配(近代の呪われた運命)
に加担することになると考えたという。
そこに近代社会学の限界を見たヴェーバーは、
「知覚不能」な身体領域へ関心を寄せた。
また、ヴェーバーの社会学的課題は
自分自身の課題でもあったことも明らかにされている。
この本を「社会学の入門書」としてとらえるなら、
ここからつかみとるべき本質的なエッセンスは、
自分にとって本当に大切な問題を
追求し続けることの大切さであろう。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』や、
『古代ユダヤ教』についても、書かれていることは
実はヴェーバー自身にとって切実な問題であった。
『古代ユダヤ教』では、
ひとつの社会の中にずっといる人は、
新しい文化を創ることができず、
複数の文化の境界線にいる人びと、
それを越境する人たちが新しい文化を
つくるといったことが述べられている。
これは彼自身がドイツからイタリアへ
療養の旅に出たことで、プロテスタント的ではない、
新しい価値観を発見したことだというということが
この『ヴェーバー入門』からわかる。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
についても、ヴェーバーが母親から受け継いだ
プロテスタンティズムの精神を克服していく
プロセスに由来している。
つまり著者の山之内さんが明らかにしたことは、
ヴェーバーにとって本当に切実な問題とは
何だったのかということ、
それとヴェーバーの著作の結びつきを
明らかにしたということだろう。
そしてこれは例外的なことではなくて、
素晴らしい社会学的研究というのは、
常にその研究者自身にとって大切な問題と
つながっているということだろう。