待ってますよ。こなかったら家に電話しますよ | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
きのうテレビで、
ある瀬戸内海の島が紹介されていた。

その島の子どもたちは、
フェリーに乗って学校に通学している。

「遅刻してくる子たちもいるでしょう?」

と質問された船長は、

「待ってますよ。
 こなかったら家に電話しますよ(笑)」。

時間が来ても客を待ってくれるフェリー。

いや、「客」という言葉は、
このフェリーにはなじまないのかもしれない。

人口の少ないこの島では、
まだシステムより人間が優先されているのだろう。

このことは、単に「なつかしい風景だなぁ」
ということ以上の意味を持っている。

こうした環境にいる子どもは、
自己肯定感とともに育ってゆくだろう。

自分が「大切な存在である」ということを、
理屈ではなく諒解することができるのである。

しかし人間よりシステムが優先される社会では、
人間の自己肯定感は育まれにくい。

都会の時間は、遅刻した子どもを待ってはくれない。

しかし顔の見える関係性を維持するこの島では、
フェリーの出発する時間は、
遅刻した子どもの到着を待ってくれる。

人間の関係性とともにある時間は、
等速に進む時計の時間のようには進まない。

僕の部屋の片付けが全く進まないのは、
きっと都市の時間の流れが
あまりに速すぎるせいであろう。