下記のような記事があった。
ご先祖さまが子孫のために残した石碑が、
津波から多くの命を救ったという。
未曾有の大津波で被災したご先祖さまが、
永く子孫の世代まで心配し、
その経験を活かしてくれたのである。
ご先祖さまたちのあたたかい想いが
伝わってくる記事である。
では、私たちは今回の震災から、
子孫たちに何を伝えればいいのだろうか。
地震や津波の経験はもちろんだが、
やはり原発事故の恐ろしさを伝えねばなるまい。
それは国土を消失させ、
水や食べ物、あらゆる生命を汚染し、
何世代にも及ぶ影響を与え、
目に見えない恐怖をばらまく。
そして使用済燃料は
半永久的に管理せねばならず、
そのコストとリスクを引き受けるのは
もちろん僕たちの子孫である。
そして、実際に福島の一部は、
すでに半永久的に失われてしまった。
日本には全国に54基もの原発がある。
このどれもが福島になり得ることを、
僕たちは知ってしまったのである。
「此れより二度と原発を建てるな」
この文字を石碑に刻み、実践することが、
僕たちの子孫に対する
せめてもの思いやりであろう。
此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110329-OYT1T00888.htm
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「此処ここより下に家を建てるな」――。
東日本巨大地震で沿岸部が津波に
のみこまれた岩手県宮古市にあって、
重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)
では全ての家屋が被害を免れた。
1933年の昭和三陸大津波の後、
海抜約60メートルの場所に
建てられた石碑の警告を守り、
坂の上で暮らしてきた住民たちは、
改めて先人の教えに感謝していた。
「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪」
本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)
灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる
急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。
結びで「此処より――」と戒めている。
(●は魚へんに毛)
地区は1896年の明治、
1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、
生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。
昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。
その後は全ての住民が石碑より
高い場所で暮らすようになった。
地震の起きた11日、港にいた住民たちは
大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、
曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。
巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、
その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。
地区自治会長の木村民茂さん(65)
「幼いころから『石碑の教えを破るな』
と言い聞かされてきた。
先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
(2011年3月30日07時22分 読売新聞)
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