きわめて秀逸なドコモのCM | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
「渡辺謙が携帯電話」という設定でシリーズ化している、
NTTドコモの携帯のCM。

最新作では、地方から上京する少女を
渡辺謙がエスコートする、
というようなストーリーになっている。

NTT docomo GALAXY S SC-02B「上京」篇

なんとなく心あたたまるストーリーに見えるのだが、
僕はこれを見て、なんだか寒々しい気持ちになった。

心配する家族に見送られながら、上京する少女。
東京に着くが「中野坂上」への行き方がわからない。
そこで、携帯役である渡辺謙に行き方を聞き、
彼女は「中野坂上」へ向かって歩いて行くのである。

ところがここでエスコートしてくれる「渡辺謙」は
あくまで比喩であり、実際にはただの携帯にすぎない。

つまり現実の世界では、
この上京した少女は「人と関わることなく」、
生活をスタートさせているのである。

ひと昔前なら、彼女は駅員さんか、
そのへんを歩いている人に
道を聞くであろうシーンである。

そこで、ああ、東京にも親切な人がいるんだ、
ここでもなんとかがんばれそう!
みたいなことなら、まぁほっこりできる。
あまりにもベタやけど(笑)

もちろん冷たくあしらわれることもあるだろうけど、
それもひとつの「人との関わり」である。

ところがこのCMでは、東京にいる人々は
ただの「景色」としてしか描かれていない。

これが、僕が感じる「寒々しさ」の要因であろう。

つまり、便利になるというのは、
一面ではそういうことなのである。

便利さが、人のつながりを奪っていく。
そのことを非常に象徴的に描いているという点で、
このCMはきわめて秀逸である。