ザッケローニ | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
サッカー日本代表 VS オーストラリア代表。
いやー、いい試合であった。

感想やらを述べるときりがないので、
今回は監督のザッケローニについて。

オーストラリア戦は特にそうだったが、
今大会はザッケローニの采配が見事だった。

監督に就任してまだ間もない状態で、
ここまで選手とチームを掌握できているのは、
彼の人間性によるところが大きいと僕は見ている。

僕が最初に「おっ」と思ったのは、
たしかアジアカップ第一戦の試合後。

例によってカメラの前でインタビューに答えたあと、
ザッケローニはインタビュアーに手をさしのべ、
自ら握手を求めたのである。

インタビュアーはふいを突かれて「ど、どうも(笑)」
といった感じだったが、明らかにうれしそうだった。

試合に勝って機嫌が良かったのかとも思ったが、
浮かれている様子は全く見られなかった。

ザッケローニは、インタビュアーを
単なる「インタビュアー」として見ずに、
ひとつの人生を背負う、ひとりの人間として
接している。僕にはそう見えたのである。

それは人間に対する敬意と言ってもよい。

だからこそインタビュアーは
うれしかっただろうし、
彼はもうザッケローニのファンに
なっているのではないだろうか(笑)

インタビュアーに対して
このような接しかたをするザッケローニが、
選手に対して同じように接しないはずがない。

彼は選手たちを見るときに、
その背後にある、ひとりひとりの
人生にも目を向けている。

そしてそれぞれの人生に対して
敬意を持って接しているのではないだろうか。

しかし彼がこのような視点を
持てるということは、彼自身の人生が
平坦ではなかったことを意味している。

そこでちらっと調べてみると、
やはりそういうエピソードがあった。

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地元メルドラでサッカー選手をしていたが、
肺の病気や怪我に苦しみ、
20歳を前にして引退した。
現役時代のポジションはサイドバック。
その後は、家業のペンションの従業員を務めたり、
保険代理店を経営したりしながら、
指導者の道を目指した。

ウィキペディアより
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選手がザッケローニに寄せる信頼は、
彼が持つ「人間を見るまなざし」
によるところが大きい気がする。
この点はオシムとも通じるものがある。

会社の上司と部下の関係でも同じである。
単に「会社の駒」として部下を見る上司より、
部下の人生も見据えながら采配してくれる上司に、
部下は絶大な信頼を寄せるものである。
そこには、人間に対する敬意があるからである。

香川が負傷してチームを離れたとき、
ザッケローニは取材にこう答えた。

「サッカーは人生と同じで
 不測の事態が起こるもの。
 前に進むだけだし、良い準備をして
 優勝カップを持ち帰りたい」

この言葉を語ったとき、
彼の脳裏には彼自身のこれまでの人生が
思い浮かんでいたのかもしれない。

ザッケローニが率いる日本代表。
これからの成長が楽しみである。