「さようなら」はなぜ「ほな」なのか | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
大阪では、別れ際のあいさつは

「ほな」

である。

みんなで解散するときなどは、

「ほな」「ほなー」「ほなほなー」「ほなまたー」

となる。

僕はもちろん東京でも
「ほな」を使っているのだが、
ときどき「ほなって何?」
と聞かれることがある。

そう言われれば、
何で「ほな」なんやろう?
と、いちど考えたことがある。


一般的な別れのあいさつは、
「さようなら」である。

これはつまり

「さよう(左様)なら」

とうことであり、言いかえると、

「そういうことなら」

だと言える。

なぜ別れのあいさつが
「そういうことなら」となるのだろう?

これは僕の想像だが、きっとこれは、
「本当はもっと一緒にいたいんです」
という気持ちの表現だったのではないだろうか。

本当はもっと一緒にいたいが、
「どうしても別れなければならない理由がある」
という前提を昔の人は共有していたのである。

だから、

「左様(そういうこと)なら、やむをえませんな」
   ↓
「さようなら」

となったのではないだろうか。

で、大阪では、
「そういうことなら」とか
「それじゃあ」ということを、
「ほんなら」とか「ほな」
といういい方をする。

だから、「さようなら」が
大阪では「ほな」になるのは、
極めて自然なことなのである。

とはいえこれは全部
僕の勝手な仮説なので、
誰か知っていたら教えて下さい(笑)

それではみなさま、メリークリスマス。

ほなー!